感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

死に損なった昼下がり

 

もう死のうと思った。

前回は意気揚々とあんな臭い言葉ばかり並べていたが現実が変わる訳じゃない、俺が根本から変わるわけがない。

 

今日は国立大の入試の日だ。

また俺は国立大の入試を受けれなかった。

成功した同期と比べると無性に死にたくなった。

指定校推薦や推薦で適当な大学に行ったやつのほうがはるかに俺より充実した人生を送ってる。それでも特に研究したいという情熱ももはや無く、二浪するんだから救いようがない。

センターが爆死していなかったら、本来僕も遠方のホテルを予約して緊張しながら一夜を過ごしていたはずだろう、そして試験を受けていたはずだ。

Twitterの浪人としてのアカウントを見るとみんな二次試験を受けている。俺だけが自室で燻っていた。

 

そんな状況に堪えきれなかった、自殺しようと思った、安楽死に定評のある致死量が低量のイソミタールを使って朝死んでやろうと思った。

 

所詮俺が死んでもこのクソみたいな世界は変わらない、どうせ申し訳程度の周りの人間が悲しむだけだろう。俺の代替みたいな人間はいくらでもいるだろう。

そう思って処方箋を確認した、しかし致死量には到底及ばない量だった。

 

一か月間はため込まないといけない、そして自殺マニュアルでは致死量を飲んでも死ねなかった例も書いてあった。

 

仮に一か月引きこもって社会性不安障害から身を守ったとしても、確実に死ねるかは分からないのだ。そして死に損なった場合の後遺症、医者への顔向けができない。

 

だから僕はしぶしぶ抗不安薬をODして死にたさを誤魔化していた。

マンションに住んでいるので飛び降りればそこで終わりなのにその勇気がない。

 

クラスメイトはそうやって死んだし、先輩も飛び降りや電車への飛び込みで死んでいった。

その勇気が欲しい。

いや、勇気が絶望を超えたら死ねるのか、恐怖感も無くなるのか。

 

今夜、非常階段の手すりを乗り越えて頑張って死んでみようか。