感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

障害者は社会のお荷物なのだろうか?

 

どうも、お久しぶりです。

最近思うことがあって文章に起こしてみようと思いました。

パニック障害で受けた仕打ちは散々なもので、以前の記事にも書いてありますが

大学でいきなり頻尿になったり、その後は吐くようになったり、胃カメラで地獄を見たり、コロナでオンラインから対面に切り替わってもパニック障害で大学に行けず、ゼミ長を担当していたのですが、その機能を果たせず、ゼミ内での批判が僅かにありました。

みんなが楽しそうに生活している中僕だけがいるべき場所にいないようにも思えました。

 

今年の冬にも何回も嘔吐で苦しみ、本来ならば下宿先のかかり付けの病院で薬をもらわないといけないのですが、あまりにもひどいため、実家におり、なかなか向かうことも出来ず、薬を切らして本当に地獄を見ました。

 

今はというと寛解はしています、しかし、一方で不安もあります。

 

パニック障害でどの基準になれば完治したと言えるのか。

いつになれば治るのか。

父親には姉たちと比べてタフじゃないと遠回しに言われ、あたかもメンタルが弱いように僕には聞こえました。

元来このパニック障害は受験で底辺高校から国立大学を目指していたのですが、それもかなわず、偏差値だけは単調減少し、そこから抑鬱から始まったのでした。

 

病気に理解がない、頑固な父親ですが地方の大学に行くのでおんぼろながら車を用意してくれました、メンテナンスもよくしてくれてそこは本当に頭が上がりません。

 

さて、ここからが最近感じることなのですが、治りにくい精神病や治らない発達障害、また身体障碍者は親に依存して生きていかなければならないことがあります。

 

僕は少なくとも大学一年の前期は1人暮らしをしていたので、父親に自立が出来ていないと言われ、そこでは反論しましたが、亭主関白で何より経済的に父親の方が豊かで母親や僕はそのおこぼれをもらっているようなものです。

 

そのような状況で、もし突然父親が亡くなったら、母親が亡くなったら、僕はどう生きていけばいいのか、皆目見当もつきません。

資格の勉強をし、運よく体調が万全な日に試験を受け、資格を取っても、いざ働くとなると様々な不安がよぎるでしょう。

僕も実際、資格試験の勉強をし、問題集ではほぼ受かるレベルまで持って行きましたが、体調が悪くなり、受けれませんでした。万が一、受かってもパニック障害者は体調がずっと良いことなんてありえないので結局働けないのです。

最近の一番の不安がこれです。

 

生活保護なんて簡単に役所が通してくれるとは限らないですし、自由に生きることすら縛られる。ベーシックインカムを導入してくれれば少しばかり助かるのですが。

一時期作業所で就職しようかと考え、SNSで情報を集めてみましたが(主にTwitter)時給が低いというレベルではなく5円程度でした。

こんな現実が存在するのかと、絶望しました。

 

 

また実家で暮らしていると常に孤独を感じ、母親が仕事から帰ってきても孤独を感じます。母親はただ淡々と料理を始め、ご飯の時間になったら里帰り出産をする姉と食卓を囲んで食べるのですが、それですらどうも温かい家庭とは言い難く、違和感を感じる。

各々が何か他人行儀というか、何かそれぞれ相手に対して不満を持っていながらも接しているように感じます。

 

いつも人混みをみると、各々の価値観で幸せそうに生きているように感じますが、

果たして実際にそうなのでしょうか、僕が見ている世界と健常者が見ている世界はあまりにも乖離が激しいのだろうと思います。

例えば叔父の家には赤子と1歳の男の子と幼稚園児がいます。

いつも訪れると遊び相手をしなければならず、僕は疲れるので苦手でもあります。

また、何回も同じ注意をしても同じ行動をし、怪我をして大泣きしたり、赤子については夜泣きをするので三時間刻みで寝なければいけないといった状態らしいです。

 

反出生主義の僕には家庭を持つ意味が分からず、水を差すようなことは言いませんが心の中では子どもを産んで後悔することだってあると思います、投げ出したい事だってあると思います。

でもそんな感情を一度でも持ってしまったのならばそれは偽りの生、迎えられなかった生に代わるのではないでしょうか?

 

実際叔父の家では夫婦、姑で三歳の子どもを幼稚園に連れていき、残り二人の子どもの世話をしているのですが、姑は疲れて子供に対する興味を失い、家事に徹したり

一度は、食欲も落ちたこともありました。

 

話は変わりますが僕は父親と相談し、休学中の大学を退学することに決まりました。

また下宿先も解約し、忙しい年末になりそうです。

 

新年を迎えても状況は変わらない、この言葉は真理なのではないかと、浅はかながら自分で考えました。

 

未来はある程度計画を立てればそうなると考えても必ずしもそうはいかない。

僕は再受験のため、受験勉強にもう一度手をつけますが、先週下宿先に車で向かったときに車のエンジンが焼き付いてエンジンごと取り替えなければならないということになったので、病院を実家の方に移しても、バスや電車を使わなければならず、父親に伝えても知らぬ存ぜぬのような返しが来ました。

 

電車やバスは先週母親同伴で利用したのですが、1人だとどうすればいいのか、もう奨学金の給付の金も尽きそうで、タクシーなんてものも使えないし、本当に未来は真っ暗です。

 

パニック障害者で私生活どころか社会復帰すら厳しい人たちへ、それで苦しんでいる人間がここにいることを忘れないでください。

SNSでもネットで探してもそう簡単に見つからないニッチではあるがかなり厄介な病気ですので、根気強く、前を向いて、必死に逃れる術を身に付けましょう。