感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

障害者は社会のお荷物なのだろうか?

 

どうも、お久しぶりです。

最近思うことがあって文章に起こしてみようと思いました。

パニック障害で受けた仕打ちは散々なもので、以前の記事にも書いてありますが

大学でいきなり頻尿になったり、その後は吐くようになったり、胃カメラで地獄を見たり、コロナでオンラインから対面に切り替わってもパニック障害で大学に行けず、ゼミ長を担当していたのですが、その機能を果たせず、ゼミ内での批判が僅かにありました。

みんなが楽しそうに生活している中僕だけがいるべき場所にいないようにも思えました。

 

今年の冬にも何回も嘔吐で苦しみ、本来ならば下宿先のかかり付けの病院で薬をもらわないといけないのですが、あまりにもひどいため、実家におり、なかなか向かうことも出来ず、薬を切らして本当に地獄を見ました。

 

今はというと寛解はしています、しかし、一方で不安もあります。

 

パニック障害でどの基準になれば完治したと言えるのか。

いつになれば治るのか。

父親には姉たちと比べてタフじゃないと遠回しに言われ、あたかもメンタルが弱いように僕には聞こえました。

元来このパニック障害は受験で底辺高校から国立大学を目指していたのですが、それもかなわず、偏差値だけは単調減少し、そこから抑鬱から始まったのでした。

 

病気に理解がない、頑固な父親ですが地方の大学に行くのでおんぼろながら車を用意してくれました、メンテナンスもよくしてくれてそこは本当に頭が上がりません。

 

さて、ここからが最近感じることなのですが、治りにくい精神病や治らない発達障害、また身体障碍者は親に依存して生きていかなければならないことがあります。

 

僕は少なくとも大学一年の前期は1人暮らしをしていたので、父親に自立が出来ていないと言われ、そこでは反論しましたが、亭主関白で何より経済的に父親の方が豊かで母親や僕はそのおこぼれをもらっているようなものです。

 

そのような状況で、もし突然父親が亡くなったら、母親が亡くなったら、僕はどう生きていけばいいのか、皆目見当もつきません。

資格の勉強をし、運よく体調が万全な日に試験を受け、資格を取っても、いざ働くとなると様々な不安がよぎるでしょう。

僕も実際、資格試験の勉強をし、問題集ではほぼ受かるレベルまで持って行きましたが、体調が悪くなり、受けれませんでした。万が一、受かってもパニック障害者は体調がずっと良いことなんてありえないので結局働けないのです。

最近の一番の不安がこれです。

 

生活保護なんて簡単に役所が通してくれるとは限らないですし、自由に生きることすら縛られる。ベーシックインカムを導入してくれれば少しばかり助かるのですが。

一時期作業所で就職しようかと考え、SNSで情報を集めてみましたが(主にTwitter)時給が低いというレベルではなく5円程度でした。

こんな現実が存在するのかと、絶望しました。

 

 

また実家で暮らしていると常に孤独を感じ、母親が仕事から帰ってきても孤独を感じます。母親はただ淡々と料理を始め、ご飯の時間になったら里帰り出産をする姉と食卓を囲んで食べるのですが、それですらどうも温かい家庭とは言い難く、違和感を感じる。

各々が何か他人行儀というか、何かそれぞれ相手に対して不満を持っていながらも接しているように感じます。

 

いつも人混みをみると、各々の価値観で幸せそうに生きているように感じますが、

果たして実際にそうなのでしょうか、僕が見ている世界と健常者が見ている世界はあまりにも乖離が激しいのだろうと思います。

例えば叔父の家には赤子と1歳の男の子と幼稚園児がいます。

いつも訪れると遊び相手をしなければならず、僕は疲れるので苦手でもあります。

また、何回も同じ注意をしても同じ行動をし、怪我をして大泣きしたり、赤子については夜泣きをするので三時間刻みで寝なければいけないといった状態らしいです。

 

反出生主義の僕には家庭を持つ意味が分からず、水を差すようなことは言いませんが心の中では子どもを産んで後悔することだってあると思います、投げ出したい事だってあると思います。

でもそんな感情を一度でも持ってしまったのならばそれは偽りの生、迎えられなかった生に代わるのではないでしょうか?

 

実際叔父の家では夫婦、姑で三歳の子どもを幼稚園に連れていき、残り二人の子どもの世話をしているのですが、姑は疲れて子供に対する興味を失い、家事に徹したり

一度は、食欲も落ちたこともありました。

 

話は変わりますが僕は父親と相談し、休学中の大学を退学することに決まりました。

また下宿先も解約し、忙しい年末になりそうです。

 

新年を迎えても状況は変わらない、この言葉は真理なのではないかと、浅はかながら自分で考えました。

 

未来はある程度計画を立てればそうなると考えても必ずしもそうはいかない。

僕は再受験のため、受験勉強にもう一度手をつけますが、先週下宿先に車で向かったときに車のエンジンが焼き付いてエンジンごと取り替えなければならないということになったので、病院を実家の方に移しても、バスや電車を使わなければならず、父親に伝えても知らぬ存ぜぬのような返しが来ました。

 

電車やバスは先週母親同伴で利用したのですが、1人だとどうすればいいのか、もう奨学金の給付の金も尽きそうで、タクシーなんてものも使えないし、本当に未来は真っ暗です。

 

パニック障害者で私生活どころか社会復帰すら厳しい人たちへ、それで苦しんでいる人間がここにいることを忘れないでください。

SNSでもネットで探してもそう簡単に見つからないニッチではあるがかなり厄介な病気ですので、根気強く、前を向いて、必死に逃れる術を身に付けましょう。

 

耐え難い苦痛

 

 

 ちょうどさっき軽く吐いた、今年で何回吐いたのだろう。

パニック障害になってから大体2年ほど経つ、心療内科に通院しているが、一向に改善されず、悪化するばかりだ。

今は休学してるので下宿してる県まで月1でレビューの良い心療内科に通っているが、最近色々と症状を話してもあまりカルテに打ち込んでる様子には見えない、僕の症状が主に頻尿、下痢、嘔吐、動悸、不眠、予期不安や広場恐怖症(広場でなくても閉ざされた空間でもこれにあたるらしいが)という主訴に変わりがないからか、薬は毎回調整してもらっているがまったく変わらない。SSRIは1ヶ月ほど時間がかかるとはいえ、今まで飲み続けていた薬もあるのになぜ改善されないのか。

 

未来のことを考えると不安や憂鬱で寝れない。

睡眠薬で無理やり寝ても眠りが浅くて昼間に寝てしまう。

昼夜逆転を無理やり直したところですることもない。

母親からは散歩しろと言われたが実家にいて散歩する意味が分からないし、散歩したところで昼夜逆転を治しても同様に大した効果はないだろうに。

 

パニック障害寛解は数年かかる。

今は大学2年だが20代にしてこんなバイトも出来ない、講義も受けれず、休学故に留年が必然的になり、ただでさえ二浪してるのに留年して3歳下の人間と同じ場所で学ばないといけないのか、考えるだけでも不甲斐ない。

 

精神病は心の持ちようなんかとはまったく無関係でいくら治そうと努力しても発作が出たら絶望するだけだ。

絶望は死に至る病だが、不幸にも僕は無神論者だから信仰は救いにはならないし、信仰するとしてもどれも倫理で学んだから信仰したいという望みはない。

 

1年前期でキャンパス内で嘔吐、講義を途中退室して吐いたり、頻尿で途中退室したりして、優しい女の子が毎回ぼくが休んだことを把握してくれててそのたびノートを見せてくれたけど他人に迷惑かけたくなかったし、何より中途半端に同情された所で何にもならないので同情されることを嫌う人間の気持ちがわかった気がした。

キャンパス内で嘔吐した時には同期に心配されて「大丈夫ですか?」と言われたけど「大丈夫じゃない。」なんて言ってもどうしようもない、ふざけている時にしか使わないだろう。学生駐車場でも嘔吐して、後期試験も頻尿で全て途中退室して単位が取れなかった、試験自体は猿でも分かるほどしょーもないのが特に悔しい。

 

何より悔しかったのは学年で実力的にはトップを走り、多くの教授から研究室に呼ばれ、コーヒー飲んだり、お菓子を頂いたり、ゼミ長だったからゼミ同期を引っ張ってプレゼンが気に入られた達成感や、TOEICで結果出して中学生のような英語でTOEICの解答法を当たるも八卦当たらぬも八卦のようなまゆつばもので教えてる女講師が大嫌いで特に喧嘩は打ったつもりはないが向こうから噛み付いてきたりしたがTOEICの点数で単位認定してソイツのような講師とは縁を切れた、そして英検準1級を得るために大学が閉まるまで勉強して飯食う時間も寝る時間も惜しんで勉強して、隙間時間も英単語を覚えてやっと合格点までたどり着いたのにパニック障害が悪化し始めてもうズタボロで心が崩壊した。

 

ゼミの中でも今までとある軽い疾患があり、色々心配し、ゼミ中にずっと咳き込んだもんだから教授が離籍した時に近くに寄り添ってキツかったら無理しんで退出してもええよとか体育もあまり激しい運動が出来ずサッカーの時に一人ぼっちで眺めてて役割もなかったからストップウォッチ持たせてグループの中に入れたりしてた(ありがた迷惑かもしれないが)が今度は俺がやられたときは随分と批判されて不思議にも裏切られたと感じ、しばらく頭から離れなかった。

 

休学して7,8月はサーフィンやらスケボーやら地元の友人とスマブラしたり、下田旅行でサーフィンやらシュノーケルやらしようと計画立ててたけど友人の都合が突如合わなくなり、それもまた度の付き物だと思い、落ち込んだものの、そこまで気分が落ちることは無かった。

奨学金も止まってなかったからストレスフリーだったから良かったもののその後実家でもこんなことになるとは。

 

前回心療内科に歌謡祭に高速道路から降りて下宿に戻った瞬間気持ち悪くなり、車降りてからすぐに嘔吐した。

 

さっき嘔吐したとき目の前に母親がいたが何もなかったかのようにテレビを見ていて「あぁ、この感覚、高校生の時、いきなり偏差値20落ちて放課後はずっと予備校の自習室に引きこもって終わりまで勉強していて底辺高校だったからすべて独学でつらくて家に帰っても涙しながら味噌汁をすすって涙が流れたときと同じ対応だな。」と思い出した。

 

パニック障害は行動範囲を極端に制約する。自決したいがその勇気すら出てこない、無気力だ。

自決しても未遂に終わり、後遺症になって更に地獄になる可能性も完全自殺マニュアルにも書いてある。

 

「俺が我が運命を決める」そう言って自決したい。

 

親父は大学復学する可能性を低く考えており、資格試験を受けろと言われ、問題集では9割取れたがどうせ本番ではいつも通りパニック障害が邪魔をする。

復学もこの状態じゃ不可能だ。

 

月日は光陰矢の如しというようにすぐ過ぎていく、焦燥感や不安や杞憂ばかり考えてしまう。

 

誰かに対して殺意はないが殺人でもして刑務所で過ごしてみたい、ハローワークに行って作業所で低賃金で男として不甲斐なく、精神病患者働くなんて嫌だ。

 

このクソッタレな病と共に命を断ち切りたい

 

 

 

 日本人の死生観とは、生前・死後の世界とは? 死生学

 

 以前は夏が終わり、秋が到来することを嫌がっていて、資格試験勉強以外で何もすることがないと思っていたが、不幸中の幸い、否。幸い中の不幸とでも言い表した方が適当か、奨学金が止まり、収入がない中、哲学的な専門書を読むことが楽しみになった。

そこで得た新たな思考が生まれ、その思考がとても面白いものでハマってしまった。

 

浪人最後のセンター直前模試で現代文においては偏差値71.9を出したものの、実際の試験では不幸にも実力を中途半端に発揮してしまい、思うように出来なかったと感じている。

僕は物語(フィクション)よりも評論が好きで浪人時代も三島由紀夫などを愛読していた。とはいえ、国立大文学部人文社会でハイデッガーについて研究したいと思っていたので文学自体は嫌いではない、古典にしろ、近代日本文学にしろ。

ただ世俗的な書籍については嫌気が差す

(例えば成り上がった人間の成功した方法などを記した書籍、これについてはその方法を真似したところで読み手は生存バイアスや著者の育った環境、親の遺伝子などの要因が強く関係することすら気付かず、時間や金の無駄となるし、そもそもそんな本を読む時点で言葉を選ばず言うならば愚者であるからだ。また、大衆受けするようあつらえた陳腐な内容の文学、教養のない人間向けに書いた本来理解するのには難解な哲学の諸現象を簡略化し、恣意的にまとめられたものなど。)

 

自分自身の現状を捉えてみると自殺以外この苦しみから解脱することは出来ない、そもそも死とは何か、数学と同様僕は哲学が好きであったのでセンター試験の社会では倫理を独学で学び、7割程度ではあるが、三島由紀夫も愛読し、さらにその大和魂のような、日本人らしく、個人的に非常に興味がある山本常朝の葉隠が出たりしたときは非常に嬉しかったとともに、西欧の哲学などが大部分を占める中、出題され、形容詞難い誇りを感じていた。その山本常朝も大事にしていた死生観、つまり死に関する事柄に時々、頭によぎる問題でもあった。

(厳密には死生学とはまだ学問としては黎明期であり、生命倫理学、社会学、心理学、医学など横断的分野であり、哲学に包含するといったところではあるが。)

 

「数学が何の役に立つの?」という言葉をたびたび耳にする。(これは明らかに愚問である)また哲学科や哲学を専攻すると就職は?ということもあったがそもそも学問が必ずしも商業に関連するものだとは到底思えない。

 

 

 

読書による感情の描写がかなり長くなったが、本題に入る。

 

伝統的な死生観がある日本人は(神道に限っては)直角三角形のように描かれる。

長辺は成長、進歩、上昇などを表し、その線分の頂点から対辺(いわゆる高さ)は老いを表し、底辺につながると死というイメージである。

 

また、その他の信仰を持つ人々(ユダヤキリスト教など)は円のように描かれる。

始点(誕生)と終点(死去)は一致し、生と死が重なる。

生前も無、死後も無ということである。

 

次に生前・死後の世界について考えるとき、死=無であるならば生=有と言え得るかもしれない。

以下の話は逸脱するがこれがメインのファクターとなる。

アウグスティヌスの「告白」では、天地を創造する前に神は何をしていたか?と質問され、天地を創造してから時間という概念が宇宙に存在すると言ったが創造する前に時間(=創造する前)は存在しなかったのだから無ということになる。

これは宇宙物理学者ホーキング博士の理論とも非常に類似しているとのことである。

 

よって私たちは永遠(無・時間性)に囲まれた中で生きており、やや強引ではあるとは思うが、生前も死後も無となるとのこと。

 

ここからは推論だが、生前も死後も無となるならば永遠における任意の無という点として存在することとなり、また新たな命を受けたならばそれは天地が創造された時点や宇宙の終焉に向かうことがあるのではないかと考える。

 

拙い表現ではあったが大まかな内容は最低限抑えられたと感じる、また読んで時間が経ったもののより正確に要約する、恣意的な解釈をしないことに努めた。

 

引用元 死生学 1 死生学とは何か 東京大学出版会 6章 生と死の時間

 

 

「安楽死を遂げた日本人」を読んで得た知識について

 

 まず、動機として積読になっていたこの本を読もうとしたか。

それはこの年齢(21歳)で、すでに完治は無く、寛解したとしても数年かかると謡われる精神病(パニック障害・社会性不安障害又それに伴う諸々の疾患)に罹患し、大学生にして人生で完全に凋落し、確実に助かる、這い上がる術も現状ないということや、周りは就活、社会人、大学院生の同期が多く、それによって劣等感、焦燥感により、自殺願望を持ち、完全自殺マニュアルを再び参考にしたが、自殺未遂は中途半端に試みるとかなりのリスクが伴う。よって最後の救済は安楽死しかないと考えたからだ。

 

精神障害を背負っている人間はおそらく健常者が妬ましく感じると察する、特に後天的に不幸にも獲得してしまった人ほどルサンチマンになる可能性が高いと自分の経験から考える。

いきなり今まで出来ていたことが突然出来なくなる恐怖、またもう一度挑戦し、失敗したらまた恐怖や不安、苛立ちを覚えるだろう。これは僕の持つ病気の特徴であり、他の障害を持った人には共感できない可能性が大いに含有されているとも思う。

 

僕は三島由紀夫を敬愛し、その生きざまや貴族階級、文武両道、大和魂に憧れた。

僕の最後の理想の死に方は彼のような死だ。

しかし、自決することは難しい、ましてや刀なぞ容易に手に入らないし、切腹する勇気もなく、また介錯してくれる人なんてこんな時代にはそうそういないだろう。アナクロニズムと揶揄されるだけで地位も名誉もない有象無象の中の1人が夭折しようが何の意味も持たない。

 

僕が自死、つまり死にたいと、正確に言えば消えたいと思う一番の要因は今まで出来ていたことが出来ず、努力をしたいのに出来ない状態であり、第二に、学年で英語がトップだったのにすでに同じ土俵には立てないという状況下に置かれ、万が一復学してもフラッシュバックでさらに精神状態が悪くなるだろうという予期不安と3歳も下の人間と学ばないといけないのはバカバカしいと思っているからだ。

また前回の記事にも述べたが、努力出来ないというのは寛解する保証もなく、また再発することがあるならば、それはとどのつまり、骨折り損でしかないという結果が残酷にも容易に推測出来るからだ。

 

さて、さっそく「安楽死を遂げた日本人」について得た知識を整理したいと思う。

安楽死には積極的/消極的安楽死の2つのおおまかな分類があり、前者はよく話題になる典型的な安楽死でスイス、オランダ、アメリカ(一部の州)などで施術を受けれる。

後者は延命治療を患者の意思で止めることだが、果たしてこれを安楽死と呼べるのであろうか、緩和ケアでセデーションしても最後に痛みが残るはずである。

 

また安楽死にはまだ明確な定義がないとのことであった。

 

そして安楽死(以下安楽死とは積極的安楽死のことを指す。)を日本人が受けれる国は

スイスだけである。

安楽死を行うグループも複数あり、代表的な物はライフサークルやディグニタスだろうが、ディグニタスは情報をほとんど公開していない

 

ライフサークルについて

 安楽死にかかる費用はおよそ300万である。その中にはおそらく、会員登録、年会費、エアーチケット、施術代、薬物(ペントバルビタール、これは数百円で買える)火葬代などが含まれているのであろう。

仮に入会し、団体から書類が届いても実際に安楽死出来るまでは6か月ほどかかるのが平均だそうだ。(週に2~3人を見送るため)

また事前に診断書、健康状態などの何百枚も多くの書類を英語、またはドイツ語で書かなければいけない。

書類審査が終わると面接が2回ほど行われる。

ざっくり説明すると4つの条件が必要となる。

  1.  完全に寛解しない病気か
  2. 明瞭な判断が自分自身で出来るか(認知症、精神病を患っていると一貫した安楽死を望むという意思や本人の意思の確認が取りづらいためより困難となる。)
  3. 代替可能な治療法はないか
  4. 耐えがたい苦痛があるか

そしてスイスに入国する際に空港は複雑なゲートになっているので注意すること

また家族など看取る人がついていくならば入国審査で怪しまれないような滞在期間をすり合わせることと空港で友人に会うと言った際に事前に口合わせをしていないとマズい

 

以上から明白に分かる通り、スイスでの安楽死は簡単なものではなく、日本においても安楽死(自殺幇助)は法律上許されていない。

 

4つの条件から分かる通り、安楽死は若者が出来るものではない、もっとも英語は独学で学び安楽死に関する単語(e.g. 自殺幇助の英単語など)を覚えたとしても莫大な費用はどこから調達するか、精神病の場合、耐えがたい痛みを伴うものは自分の知る限りほとんど聞かない、また精神病は薬との相性があり、代替の両方はあるとも言い切れる。

 

仮に全ての項目を満たしたとしても現地に赴て面接で「あなたにはまだ生きる資格ある。」と言われて返されることもあり、それではただの徒労となり、さらに絶望するだろう。

 

結局、残念ながら安楽死が相手にしてくれるのは癌患者や難病を患い、資金もある人々のような末期の人間なのだ。

 

僕のように社会復帰出来ず、体調も一向に寛解せず、人生のゴールデンタイムを棒に振る自分を傍から見ていることしか出来ず、最悪の場合作業所で働くことにもなりかねない。

 

自分自身の残念な人生を見届けるしかないのだ。

 

※最後に、この記事は「安楽死を遂げた日本人」というルポの自分が関心のある一部を取り上げただけにすぎず、自殺幇助や安楽死を推奨しているわけではないのであくまで自己責任でお願いします。

 

それでは

影のようについてくる精神病、大学に通えなくなった焦り、劣等感

 

 しばらくブログを更新していなかったので久しぶりに更新することにしました。

前回の記事と重なる部分もありますが、今回は休学するとなった経緯についてです。

 

まず、大学一年の後期から体調を崩し、幸か不幸か、大学二年となった前期ではコロナで大学の講義はほとんどがオンラインでの受講でした。これが僕に取っては好都合で、講義室に入った際のパニック障害の予期不安や社会性不安障害による頻尿や下痢などもやや抑えることが出来ました。

 

しかし大学は次第に対面講義へと切り替わり、僕はもう成す術もなく、ただ心療内科に通院し、抗鬱剤睡眠導入剤を飲んで一日の食事はカロリーメイトだったり、ウィダーだったりしました。自炊する気力はおろか人生に絶望して勉強すらしなかったのです。

診断書をもらったわけではないですが、毎日家に引きこもり、大学から届くメールやアプリからの通知が来るたび、憂鬱になりました。

また僕の所属する大学では一年次からゼミがあり、プレゼンなどの発表をペアでしばしば行っていました、そして各ゼミにはゼミ長という存在があり、僕はその1人でありました。

これは一年次の冬頃の出来事だったと記憶しているのですが、不思議にも僕たちが行ったプレゼンの企画を気に入ったゼミ同期の女性から手紙で

「今日のゼミは楽しかった」

と綴られた折り紙をもらい、さらに教授からも一年次の頃からしばしば研究室に呼ばれ、優秀だと言われたり、様々な会話を交えたりしました、自分の中でも学部で英語だけは他の誰にも負けない、教職で中高等学校の英語科の免許を取るという志もありました、また大学院も目指そうかと心にありました、このようなことから僭越ながら僕はこのゼミを先導出来る、他のゼミよりも成長できる、他人とは違うと傲慢ながら思っていました。

 

これらの内容を踏まえて話を戻しますと大学二年の前期から僕は体調が日に日に悪化し、ゼミも僕だけがオンライン参加となり、大学でゼミの論文を敷衍するという課題があり、僕はその課題を取り組んでいましたが、精神状態は芳しくなく、ただでさえ以前のように大学に行って夜遅くまで残って1人勉強し、帰っても勉強するということすら出来ないわけであり、そのような状態で実技を含む講義を1人だけオンラインで全て受けることは不可能であり、大学のことなんて考えたくなくなった僕は思考をなるべく停止させるため、少しでも寝る時間を確保することに決めました。寝ているときは何も考えなくて良いからです。

 

そう考えていた数日後、渋々ゼミに参加してもゼミ長であることなんてものは精神病で落ちぶれ、もはや大学に姿を現すことが出来ず、ゼミ内でも担当するpptもネグレクトせざるを得なかったのです。

そして憂鬱な気分の中、生真面目でプライドが高い女性が僕に無責任だ、というような趣旨でメッセージを送ってきました、しかし僕には何もできない、何故なら大学に行けないのだから。なぜ僕がこんな目に遇うんだろう、批判されるんだろうとしばらく考え込んでは苛立っていましたが、ノブレスオブリージュみたいなものなのかなぁ、と最近考えるようになりました。

 

さて、休学の話ですがまず母親にlineで説明し、最終的に最後は父親に相談して方針を決めるという形になりました、亭主関白ってやつですね。

高校の頃から毒親と気付いていて僕はACであるとたまに思うことがあります、高校受験も無理やり確実に受かる底辺高校を受験させ、そこに投獄し、国立大学を目指すようなさも地獄のような環境でした。

そんな経験から分かっていたのですが、まず、父親に病状を説明すると、父親の相槌の声音は暗くなり、最初のひとことは「そんなことで逃げるようじゃもう働かせるしかないな。」と言われました。

 

国立の理学部数学科を目指して浪人中、精神病に罹患し、妥協に妥協を重ねて頭の悪い、精神年齢が低い人間たちと学び、英語の講義に関しては底辺高校と遜色ない講義を不満ながら受け、最低限のアサインメントを提出したり、自分の好きなペース

(僕は同調圧力が嫌いで特に吹きこぼれをさせるような講師、教授は大嫌いで反面教師としている、ただ単に金と時間の無駄なのだ、人生は有限でいつ死ぬかも分からないのに)

で常に孤独で勉強し、教採に一発で受からずしても真っ当な人生を歩むはずだった未来が一気に崩れ落ち、めったに泣かない自分が気付いたら涙をこぼしていました。

 

父親は僕の病気に完治はない、また再発するかもしれない、寛解には時間がかかる。

このままだと休学せずとも留年、しても留年と続けると数日考えるから待てという言葉を残し、その日は電話を切りました。

 

翌日父親から連絡が来て休学して無理ならもう半年休めばいいと告げられ、なんとか籍を残すことは出来ました。

 

今まで父親からとある資格を取れ、と言われ続け、そんな暇はない、とりあえず、英検準一級の合格点は超えているから、という矢先にこんな事態になりました。

 

よく使われる文言ですが「失ったときに初めてその大切さが分かる」というのを久しぶりに身に沁みました。

 

3月に復学予定ですが、調子は一向に改善されず、もう他大学の夏休みは終わり、皆が就活や楽しそうなキャンパスライフをインスタで挙げたり、大学でよくつるむような友人と遊んでいるのを見ると何ともいたたまれない気持ちになります。

資格を取ってこのまま退学し、高卒で3年間ほとんど無職の状態からブルーワーカーとしてバイトで食いつないで、高校の同期は恋人やお嫁さんがいたり、まともに正社員として働いているのに天涯孤独生きていくのかぁ、人生のピークはもう終わり、白秋と共に人生の終焉を迎えつつあるし、こんなことなら自殺でも早めにして人生終わらせようかな、と思い、高校時代抑鬱と診断されたときに購入した完全自殺マニュアルを再び読んだり、積読であった「安楽死を遂げた日本人」を今読んでいます。

 

自殺志願者は完全に自殺をしないと生き地獄になる、後遺症が残り、植物状態、下半身不随にもなり得る。

 

そんなリスクを避け、痛みもなく死ねるならばと思い、先述の本を読んでいます。

内容としては安楽死の現実が書いてあります。

 

もうそろそろ読了するので、誰かに僕と共通するような願いを持つ人がいれば、概要や感想を次回書こうと思います。

 

みなが春を待ち望み迎える中、ただ一人燻る

 

気付いたら一ヵ月ぶりの更新で、ちょうどブログを始めて一年ぶりの更新になっている。

本来の目的は自宅浪人で舐めた辛酸をただ何らかの形で表現したくて、浪人したのに前日に眠れないというどうしょうもないことだけど何回も本番を潰してしまった悔しさを表現したくて。

 

大学の一年後期が全ての災厄の始まりだった。

雪国で初めての越冬だ、冬は感傷に浸れたり、熱中症になんかならないので好きなんだが....。

パニック障害の発作が出て、講義を何回も途中退出して、学生駐車場で嘔吐したり、キャンパス内の下水溝で嘔吐したり...

だから内科で内視鏡の検査をして地獄のような経験をしたり。

紆余曲折あり、試験に出席出来ずに再履修が確定した。全て水の泡だ。

 

 

この時はまだよかった、問題は今だ。常に今が最悪なんだ。

心療内科で薬をもらっていたが診察で症状を訴えてもまったく薬を変えてもらえない。

 

心因性頻尿になってしまって異常にトイレが近くなったり、パニック障害の発作が日に日に重くなっている、もう立ち上がりたくない、こんな経験これ以上したくない。

という気持ちだ。

 

冠婚葬祭の関係でコロナ禍の中、京都に旅行で向かった。

新幹線で向かったのだが京都駅から徒歩で様々な寺を巡ろうとしたとき20分に一回はトイレに行かないとつらかった、漏れないのに漏れると勘違いするのだ。

結局ひとつしか巡ることが出来なかった。これは巡るというのか。

 

心療内科・精神科を変えるべく最近様々な心療内科を調べ、予約をしたのだがレビューが高い病院ほど初診までの時間がかかる、紹介状がなければ数か月もかかる。

よく心療内科・精神科はガチャだと言われる、本当にその通りで覚悟をしていたが、さすがに目の前が真っ暗になった。

 

そしてちょうどさっき予約を入れた病院から折り返しの連絡が来て聞いたら断る内容であった。心療内科から断られてしまった。理由は複数あった。

まず第一にまだ休学をするか迷っているという状態である。薬を合わせる必要があるから休学して実家にいないといけない。また休学するには手続きがあるのだろう。

そして今通院している心療内科から紹介状や診断書をもらわないといけない。

休学するには診断書が必要だし、転院するには紹介状が必要だ。

 

こんな山積みの課題を処理するだけでも気が滅入る。

自分のためということは分かるがそれをして幸せになれるか?

最近自分でもくだらないと思うが必ず「こんなことして自分の幸せになるか?」と問いてしまう。末期だ。

社会性不安障害による併発と抗鬱剤の限界、睡眠薬の恐怖

 

 気付いたらほとんど1年ぶりの投稿になっている、久しぶりにはてなブログというサイトに訪れ、ログインできるかも分からず、なんとなくスマホで入ってみたら自分の過去の中二病ぷんぷんのブログを見て自分でも入る穴が合ったら入りたいほどである。

 

この1年の間に多くのことがあった。詳しくは割愛するが自分の中でふと思い浮かぶものは大学講師との1対1の軋轢やTOEIC600中盤を取れたことなどかな、怒りとどう受け止めればよいのか分からない喜びに近い感情。

 

前置きはこの程度にしておいて話に入るのだが、年末ごろに僕はいつものようにパニック発作を起こし、嘔吐した。嘔吐恐怖症?なるものがあるのだが誰だって吐くことは好きでないはず、酒を飲んで吐いたという人がよくいるが僕からしたらただのドMにしか見えない、僕は吐く行為が好きではない

 

しかしながらそれ以来嘔吐するようになったので、それに伴い心療内科でより強い液体状の抗鬱剤(薬の名前は憶えていない)を処方され、それ以降心療内科で処方された胃部不快時の薬や内科で検査してから処方された緑のドロドロした胃薬

(このときに内視鏡なるものを人生で初めて受けたのだが想像を絶するほどの地獄で口からカメラを突っ込まれ、それが喉から腸まで行くのである...カメラが体の中に入っていく感覚は本当に気持ちが悪かったし、口から突っ込まれているので吐きながら自分の腸を見る羽目になった...検査後はグロッキーになっていた...)

をもらったのだが、それでも吐いてしまうほどでその後に処方された抗鬱剤も効かず、大学の学生駐車場で朝・昼問わず何回も嘔吐し、それで講義が受けれなかったことがある。

今思うとそのときによく腐らずにまともに生活したな...と思うのだが...

 

一難去ってまた一難とはこのことであろうか、年始から吐くことはなくなり、今度は心因性頻尿

(今度は泌尿器科に通い、トイレが異常に近いと伝えたが検査という話になり、前回の内視鏡で僕はもう検査というとよい響きでないため、次の予約を後からテキトーな理由をでっちあげ、一度通っただけでキャンセルしたほどであった。)

らしきものになってしまい、歯医者ですら(頭も心も悪い上にさらに歯まで悪く、虫歯を放置していたらとんでもない目に遭った)治療中にトイレに行きたくなるのであった。

抗鬱剤はオランザピンというものを使っているのだがそれでさえ発作を防ぎきれない。

 

またサイレース夢遊病がひどく、車の鍵が車の助手席に刺しっぱなしであったり、鍵をかけてなかったりしたことや勝手にお酒を買っていたこと、チューハイの瓶をカチ割ってガラスの破片がアパートの廊下に散乱していて、さらには小便をひっかけたらしいので本当に気を付けて欲しいものです、あとすこししたら今頃豚箱の中にいたのかもしれないと思うと本当に恐ろしい。

 

医者にこのことを告げたのだがあまり驚いてはおらず、こちらとしてはこんな危ない薬出すなよとは思うのですがこの薬でないとなかなか眠ることは難しいそうです。

 

こうしてパニック障害で発作に加えてさらに意味不明な症状が多発するので、みなさん自律神経は壊さないようにしましょう、あとサイレースは気を付けた方が良いです...。

 

以上、久々の投稿でした。