感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

影のようについてくる精神病、大学に通えなくなった焦り、劣等感

 

 しばらくブログを更新していなかったので久しぶりに更新することにしました。

前回の記事と重なる部分もありますが、今回は休学するとなった経緯についてです。

 

まず、大学一年の後期から体調を崩し、幸か不幸か、大学二年となった前期ではコロナで大学の講義はほとんどがオンラインでの受講でした。これが僕に取っては好都合で、講義室に入った際のパニック障害の予期不安や社会性不安障害による頻尿や下痢などもやや抑えることが出来ました。

 

しかし大学は次第に対面講義へと切り替わり、僕はもう成す術もなく、ただ心療内科に通院し、抗鬱剤睡眠導入剤を飲んで一日の食事はカロリーメイトだったり、ウィダーだったりしました。自炊する気力はおろか人生に絶望して勉強すらしなかったのです。

診断書をもらったわけではないですが、毎日家に引きこもり、大学から届くメールやアプリからの通知が来るたび、憂鬱になりました。

また僕の所属する大学では一年次からゼミがあり、プレゼンなどの発表をペアでしばしば行っていました、そして各ゼミにはゼミ長という存在があり、僕はその1人でありました。

これは一年次の冬頃の出来事だったと記憶しているのですが、不思議にも僕たちが行ったプレゼンの企画を気に入ったゼミ同期の女性から手紙で

「今日のゼミは楽しかった」

と綴られた折り紙をもらい、さらに教授からも一年次の頃からしばしば研究室に呼ばれ、優秀だと言われたり、様々な会話を交えたりしました、自分の中でも学部で英語だけは他の誰にも負けない、教職で中高等学校の英語科の免許を取るという志もありました、また大学院も目指そうかと心にありました、このようなことから僭越ながら僕はこのゼミを先導出来る、他のゼミよりも成長できる、他人とは違うと傲慢ながら思っていました。

 

これらの内容を踏まえて話を戻しますと大学二年の前期から僕は体調が日に日に悪化し、ゼミも僕だけがオンライン参加となり、大学でゼミの論文を敷衍するという課題があり、僕はその課題を取り組んでいましたが、精神状態は芳しくなく、ただでさえ以前のように大学に行って夜遅くまで残って1人勉強し、帰っても勉強するということすら出来ないわけであり、そのような状態で実技を含む講義を1人だけオンラインで全て受けることは不可能であり、大学のことなんて考えたくなくなった僕は思考をなるべく停止させるため、少しでも寝る時間を確保することに決めました。寝ているときは何も考えなくて良いからです。

 

そう考えていた数日後、渋々ゼミに参加してもゼミ長であることなんてものは精神病で落ちぶれ、もはや大学に姿を現すことが出来ず、ゼミ内でも担当するpptもネグレクトせざるを得なかったのです。

そして憂鬱な気分の中、生真面目でプライドが高い女性が僕に無責任だ、というような趣旨でメッセージを送ってきました、しかし僕には何もできない、何故なら大学に行けないのだから。なぜ僕がこんな目に遇うんだろう、批判されるんだろうとしばらく考え込んでは苛立っていましたが、ノブレスオブリージュみたいなものなのかなぁ、と最近考えるようになりました。

 

さて、休学の話ですがまず母親にlineで説明し、最終的に最後は父親に相談して方針を決めるという形になりました、亭主関白ってやつですね。

高校の頃から毒親と気付いていて僕はACであるとたまに思うことがあります、高校受験も無理やり確実に受かる底辺高校を受験させ、そこに投獄し、国立大学を目指すようなさも地獄のような環境でした。

そんな経験から分かっていたのですが、まず、父親に病状を説明すると、父親の相槌の声音は暗くなり、最初のひとことは「そんなことで逃げるようじゃもう働かせるしかないな。」と言われました。

 

国立の理学部数学科を目指して浪人中、精神病に罹患し、妥協に妥協を重ねて頭の悪い、精神年齢が低い人間たちと学び、英語の講義に関しては底辺高校と遜色ない講義を不満ながら受け、最低限のアサインメントを提出したり、自分の好きなペース

(僕は同調圧力が嫌いで特に吹きこぼれをさせるような講師、教授は大嫌いで反面教師としている、ただ単に金と時間の無駄なのだ、人生は有限でいつ死ぬかも分からないのに)

で常に孤独で勉強し、教採に一発で受からずしても真っ当な人生を歩むはずだった未来が一気に崩れ落ち、めったに泣かない自分が気付いたら涙をこぼしていました。

 

父親は僕の病気に完治はない、また再発するかもしれない、寛解には時間がかかる。

このままだと休学せずとも留年、しても留年と続けると数日考えるから待てという言葉を残し、その日は電話を切りました。

 

翌日父親から連絡が来て休学して無理ならもう半年休めばいいと告げられ、なんとか籍を残すことは出来ました。

 

今まで父親からとある資格を取れ、と言われ続け、そんな暇はない、とりあえず、英検準一級の合格点は超えているから、という矢先にこんな事態になりました。

 

よく使われる文言ですが「失ったときに初めてその大切さが分かる」というのを久しぶりに身に沁みました。

 

3月に復学予定ですが、調子は一向に改善されず、もう他大学の夏休みは終わり、皆が就活や楽しそうなキャンパスライフをインスタで挙げたり、大学でよくつるむような友人と遊んでいるのを見ると何ともいたたまれない気持ちになります。

資格を取ってこのまま退学し、高卒で3年間ほとんど無職の状態からブルーワーカーとしてバイトで食いつないで、高校の同期は恋人やお嫁さんがいたり、まともに正社員として働いているのに天涯孤独生きていくのかぁ、人生のピークはもう終わり、白秋と共に人生の終焉を迎えつつあるし、こんなことなら自殺でも早めにして人生終わらせようかな、と思い、高校時代抑鬱と診断されたときに購入した完全自殺マニュアルを再び読んだり、積読であった「安楽死を遂げた日本人」を今読んでいます。

 

自殺志願者は完全に自殺をしないと生き地獄になる、後遺症が残り、植物状態、下半身不随にもなり得る。

 

そんなリスクを避け、痛みもなく死ねるならばと思い、先述の本を読んでいます。

内容としては安楽死の現実が書いてあります。

 

もうそろそろ読了するので、誰かに僕と共通するような願いを持つ人がいれば、概要や感想を次回書こうと思います。