感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

答え合わせ

 

さて、前回と同様今日の行動をまとめてからそのまま勝敗結果について言及しよう。

 

まず起きたのは6時だった、何をして開示の10時まで待とうか、戸惑っていたが

なぜだか無性にギターが弾きたくて仕方なかった。

最近楽しいのだ、競争しなくていい、受験勉強とは違う、全てが報われる、つらくない。

趣味としては模倣できることで成功と同義だということ。

 

それでも勉強しようと思いコンビニにエナジードリンクと煙草を買いに行った。

前に早朝、エナジードリンクを飲んで勉強したらかなり進捗がよかったからだ。

 

結局少し勉強して、気が付いたらギターを手に持っていた、ひたすら尾崎豊シェリーのイントロの部分を練習していた。

 

そして時計に目をやるとすでに審判の時刻は過ぎていた。

 

スマホで見ようとしていたが重すぎてパソコンで見た(こちらでも少し時間がかかった)

 

さて、その勝敗結果だが。

 

             俺の勝ちだ。

 

しかし勝ちとは何であろう、賭けに勝ったのか?受験に勝ったのか?

残念ながら前者である。

つまり僕の推測は当たっていた、何となくそんな気はしていた。

 

すなわち落ちたのだ。

 

単願ということはもう後期に出さない限り二浪は確定する、僕は調査書(大学に願書を送り付けるときに1通必要)を一通だけしかもらいに行っていない。

 

今更受かりそうな後期のFランに出してその場凌ぎで過ごそうなんて思わない、いや、実際脳内にはチラつくが僕の志はそんなことを許さない。

少しここでは疲れる、それでも立ち向かっていかなければ。

 

 

前期の判定の結果を見た時、まぁ、心への打撃は少なかった、何より元から落ちると確信していたから。

しかしセンター利用で落ちるとはそこまで思ってなかったが、仕方ない。

最近私大は難化しているし、僕は勉強をしていなかった。

 

センター1か月前も何か無力感に囚われたのか、いや、確か理系に戻りたかったのか、あまり明確な理由は思い出せないがたしか母親との不和でなぜだかやる気が起きずセンター1か月前から勉強してなかった。

 

私大一般も同様である、その大学の過去問なんてこの一年で一度も解いてないし、春にはA判、直前にC判だったし、センター利用の英語はなんとかなると思っていた。

 

 総括するとこんな感じだ。

 

今整理しておきたいのは二浪に向けての意思の確認だ。

 

僕の志はそこらの有象無象とは違う。

 

多くの人間は推薦を利用してなるべく合格が確実になるような方法を取る。

 

しかし、それで本当に良いのだろうか?

 

概して大学とは学問を研究する研究機関であると思っている。

 

適当に自分の実力を開拓するという魂への配慮をせず、目を背けて世人となってFランに行って遊んではなにか時事問題になると付け焼刃の集めた情報でその場だけ知ったような顔で浅学菲才であるのにいっちょまえに口出しする。

そういう奴等が俺は気に食わないのだ、そういう人間になりたくないし、僕の父親は僕が現役で受かったFラン私文出身で、母親も頭の良くない私立女子大である。

僕には姉がいるのだが次女は私立の看護大、長女は私立の高校を出て専門である。

 

そんな環境を打破したいのだ、僕は反出生主義だし、女の子からもモテないけど、それでも、もし自分に子供が出来たら子供から見て立派な大人であって欲しいのだ。

 

だからそんな理想の自分を欺いたりなんかしない。

 

それが一抹の信念である。

 

誰が推薦で水増しして定員を少なくして偏差値操作して中身は空っぽのクソ大学になんか行くかよ、こっちから願い下げだ。元々志望校でもなかったしな。

 

結局今回は負けたが勝った。

 

負けたということに負けず、受け入れて勝つことが出来た。

 

俺は今日でまたさらに成長したのだ。

 

精神病でも俺は自分を曲げるくらいなら死んでいい、それは自分の寛容さとの折り合いだが、決して負けてはいけないことには負けたくない。それなら死にたいのだ。

 

それが日本男児というものだろう、葉隠にもそんなことが書いてある。

 

清く真っすぐに生きたい。