感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

本音

 

過去を振り返るにはちょうど潮時だと思うので今回、本音とともに振り返ろうかと思う。

 

記憶ではこれはたった1人の恩師や本当に気心が知れてる友人1人、あとは家族の計5人にしか言ったことがないのだが。

 

というのもあまり大きすぎる目標を口にするのも憚られるし、それを言ったところでコイツも狂ってんだな、よくいる夢見がちな馬鹿なんだな。と思われ、煙たがられるのが嫌で言えなかったし、実際、家族にそういう扱いを受けた。

 

今も口にすることもない。現状と仮初の目標になってしまった、おそらく当時の僕には夢であったものは甚だしく乖離しているし、健常者ですらないのだからもう受験という同じ土俵に立つことは難しいだろう。

 

元々は僕が受験、つまり勉強を始めたのは医学部に行きたかったからだ、元々小学生時代に世話になった熱血で優しかった女教員が夭折してしまったことも要因になってるかもしれない。

 

その人は嵐の二宮が好きだった記憶がある、そして神様のカルテという本を読んでいた。

僕も気になって読んでみたが細君や好々爺など小学生が読むには少し難しく、ジョークも小学生が解するにはまだ経験が足りなかったのだろう、僕はもう中学、高校を通して三回も読んでかなり好きだった。

もう読まなくなった今では少ししか内容は覚えていないがその本の主人公が読書家で特に夏目漱石の旅枕という本の冒頭に出てくる

「智に働けば角が立つ情に棹させば流される、兎角にこの世は住みにくい」

という言葉を膾炙していた。

 

当時の僕は登場人物の砂山次郎という外科医が作るまずいインスタントコーヒー(砂山ブレンドと呼ばれていた気がする)の名前をかろうじて憶えててそれをその教員に話したけれどもそれしか分かってなかった僕の会話は長続きはしなかった。

 

その先生は例えば自習の時間にふざけないよう生徒に釘を刺すときなどは「おしゃべりする人は先生と愛について語り合いましょう」なんてふざけていってみんな笑っていた気がする。僕はそれが意外と好きだったし、ませていたからその時は恋人がいて、相談を受けてもらったこともある。恋人に迷惑をかけないようにしてあげなさい。と

 

時は経て、まだ遊ぶことしか知らなかった僕の中学時代はろくに勉強せず結局不本意底辺高校に入れさせられて、その時、医師を志したのだが現実はそう甘くなく、高校の授業は簡単すぎで無駄なものばっかだったり、物理は教え方に癖がありすぎてみんなついていけてなかったのだと、今になって思う。

カリキュラムも他校と比べると明らかに単位が遅れていたり、余計なものを理科で費やしてdisadvantageは増えていった。

結局僕はグレて、というか鬱病の関係もあったがロッカーは整理しなくていつも汚かったし、移動教室もなぜか知らないが毎回使うときは荷物を持ち帰らなければならなかったのだが放置していて、朝からクラスメイトの前で教卓で担任にキレられたし、数学の授業も早弁して放置した弁当がそのままになっていて温厚な教員ですら怒らせてしまってかなり気まずい空気になった。

教室のベランダでタバコを吸ったり、帰りに人の家の庭でタバコを吸って住居者に怒られてみんなでいっせいに逃げたりして、今となってはいい思い出かなとは思う。

 

あと文化祭はバックレて自習室に行ったり友達とゲーセン行ったりしてたっけか。

 

テスト終わりにすぐスーパーに行って煙草を買ってみんなで喫んでいたっけな。

 

結局受験は失敗して友人にも成績が抜かれ、一浪した今でもまた友人に抜かれて精神病にもなった。

 

けど精神科に通っているときに、医者から希望を与えてもらえるような気がするのだ。

それがまた僕に夢見がちな目標を芽吹かせた。

 

僕も人に希望を与える人間になりたい、人を癒せる人間になりたい。

 

けど。