感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

社会性不安障害を背負った受験生が志さなければならない理想像

 

なんだか今までを振り返ってみると医者に薬を出され、申し訳程度の慰めを受け、治るか治らないかも曖昧なまま、勉強してはパニック発作が出て苦しんで腐って投げ出して「治ることなんかねぇじゃんかよ」と思い、ギターに没頭するなんてことが多いと思う、しかし本当にそれでいいのか、ギターなんてやっていても後ろめたさがこの気持ちを思い起こさせる。

 

治るか治らないかは大体わかっている、ネットを見れば個人差があるらしいし、薬が本人に合うことも大切らしい、しかし一年なんてそう長くはない。薬が合うか合わないかなんてやっているうちにもうあっという間に試験だ。

Twitterパニック障害なんて検索すれば何十年もパニック障害と闘っていて、仕事も

ままならないなんて人が見受けられる。

 

僕もそんな人間になってしまうのか、それが一番怖い。

実際バイトをしてみたかったがパニック障害は発作が出たら誇張無しで動悸や吐き気、強烈な不安、息苦しさとどこからくるかわからない死ぬ思いを感じてまるで自分ひとりが虚空に殺されるような症状が出て醜態を晒すわけにもいかない。

 

さらに嫌なのがここで希望を見出して勉強したわいいものの、模試も受けられず、センター試験も受けられず、結局はただディレッタントになってしまうことだ。

これまでの艱難辛苦を乗り越えたことすら誰にも評価されずに。

 

結局は徒労、そんなことになるのが怖い。

現役の時に一番思い知らされた、原因を解決しなければ救われないということを。

 

しかしそれでも、雨曝しの中でも俺は走っていかなければならない、どんだけ打ちのめされようと諦めることだけはしてはいけない。

無理やりでも希望をもって生きなければならない。

それがこの腐った世の中に対する報復だろう、何も報われなかった俺が唯一出来る手段

それが希望をもって勉強をし続けるという方法であり、理想像であるのかもしれない。