感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

怠惰な絶望

 

  • 日記

 

今日は朝早く起きた、といっても7時くらいか。

まず煙草を吸ってから勉強を始めた、しかし10時頃になると家でやるには好奇心が少し足りなくなってきた。

 

図書館に行こうとした、だがパニック発作でまず電車に乗れなかった。

諦めて苛立ちと吸い殻の中、喫煙所で佇んでいた。

 

帰宅して特に何をするでもなくただ無為に時間を過ごした、いや確か自慰行為でもしたような。

ふと我に戻ると「何をしてんだ俺は、こんな空虚でだらしない生活を送るよりもっと充実した一日を過ごしたい」と思い、煙草を吸ってからまた駅に向かった。

 

なんとか図書館についた。

途中で思ったのだが今は春休みで学生はみんな長期休暇に入っている。

部活終わりの高校生が高校の名前の入ったジャージを来て帰路についていた。

結局勉強したのは30分程度だったが(パニック発作がひどくなるのがすこし怖かった)

まぁ、その挑戦だけでも十分だろう。

 

そして家に帰ってご飯を食べて携帯をいじって寝た。

 

こんなところか。

 

 

  • 最近感じるのは怠惰な、ぼんやりとした絶望

 

それは明瞭な絶望とは違ってまだ優しい。

 

思うに世間体を捨てればこの世の中で生きるにはそれほど難しくないのではないか、ということ。

まぁ、僕には世間体をすてることなんて無理だと思うが

 

高校時代は予備校の自習室から出てコンビニで100円のパンとコーヒーを買ってなんとか凌いでたし、人生なんてどうにでもなる気がするのだ。

 

しかしこれは希望ではなく人生、社会に対する失望である。

 

僕の考えではもう二つの選択しかなかった。

 

生きるか、死ぬか

 

ただそれだけだった。

 

そんなような気がしたのである。

 

僕の現状は薬を飲んでスノボやサッカーをしたりすることが出来ているがまだ電車に乗るのはすこし厳しい。

高校の時なんか電車に乗って英単語を覚えていたのに、なんだかまるで他人事のように思える。

 

そして高校の離任式に行くなんて約束を友達から受けたのだ、本来なら現役の時に離任式に行くのが普通だと思うのだがなぜだか一年間経った後に行くことになったのだ。

 

友人曰く、三年の時の担任と物理を担当していた高校教員が僕を呼んでいるらしい。

 

担任には僕が鬱病だった時期に迷惑をかけて散々叱られたり、僕の過失をかばって謝っている場面を目の当たりにしたこともあり、感謝はしているがそこまで好きではなかった。その程度の恩義である。

 

また物理教師は教え方もひどく、発言も一浪目に文転してしまうほどには僕の心に打撃を加えたのであまり好きではない。

 

それでも呼ばれているのだから仕方ない、一期一会とも言うし、物理教師はもう異動するからさらに会うことはなくなるだろう。