感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

スノボに行った回

 

スノボに行ったことについて記憶が薄れていかないうちに書き留めておこうと思う。

 

たしか三日前にいきなりLINEが来て行くことになった、幸いパニック障害も鳴りを潜めつつあったので僕は乗り気でいた。

 

そして前日の夜9時にハイエースで出発する予定だったが同乗する静大生がバイトで遅れることになり急遽2時間遅れで出発した。

 

以前長野に行ったときは高速道路でパニック発作の頻尿などで苦しんでいたが今回はそこまで悩まなかった、お互い色んな話しをしていたからかもしれない。

 

そして高速に乗っている途中に、もう少しで着くという時に右後輪のタイヤがバーストした。

不幸中の幸いにもスペアのタイヤがあったし、友人の父親が自動車整備士であったのでなんとか一時間で収まった、丁度終わりの時に岐阜のなまりがはいった交通警察が来て発煙筒や三角灯三角灯を焚いてくれた。

 

スペアを交換している間に僕は高速で停車しているということもあり、その時発煙筒や三角灯は車になかったので(確か以前煽り運転をして、された側の両親が高速道路で車から引きずり降ろされてそのまま後続車に轢かれて亡くなったという胸を痛める事件が心に残っていたので)後続車に轢かれないように停車位置から少し後ろでスマホのライトで後続車を隣の車道に寄せる仕事をしていた。たしか夜中の三時だった、トンネルの直前で森閑としている山々を月を見ながらなんだか不思議な気持ちになっていた、こんな田舎に住めたらいいなぁ、と。

思っていた気がする。

 

そして四時くらいにスキー場に着いた。

みんなは寝袋で寝ていたが僕は薬が無いと寝れないし、前日の昼間に睡眠薬を飲んで二時間しか寝れず調整もうまくいってなかったのでもう起きていることにした。

 

みんなが寝ている間、僕は一人で一面真っ白な雪が積もった野原を駆け回ったり、雪だるまを作ったり、雪化粧をした向こう側に広がる稜線を眺めてパニック発作は出ていたがそれでも十分楽しめた。

 

さて、スキー場は8時から開園なのだが僕の板はもう剥がれていて使い物にならなかったからレンタルした。(レンタルには身分証が必要らしくて保険証も運転免許も持っていない僕は友人から借りてなんとか事なきを得た)

 

しかしリフト代は19歳は無料らしかったのだがそれも顔写真付きの身分証明書が必要らしくて四千円払うことになってなんだか落ち込んだ。

 

そしていざ、スノボ!となったがパニック発作がひどい、吐き気がひどくて仕方なしにODをしてしまったがこんな楽しみを無駄にするわけにはいかないと思い、その場は何とか収まった。

 

そして滑ってみるとかなり勾配があってグラトリでもしてみようと思っていたがそれどころじゃなかった。

 

結局一日券を買ったが半日で疲れてしまって僕はただ喫煙所で友人たちが楽しそうに滑るのを見ていた。

 

なんだかその時はとても自己嫌悪や友人に対するフラストレーションやら溜まっていて今思うと我ながら我儘な奴だったなと思う。(まぁ、僕が自虐的に精神病や二浪をネタにしていたのも悪いが、それをいつまでもいじってきて嫌気が差すのはもっともかもしれないが。)

 

結局こんな感じで終わった、徹夜をしていたので帰りは車で少し寝ていた。

 

そしてなんとか家に着き、朝昼もまともなご飯を食べていなかったので(スキー場は自販も食堂も値段が高い)ご飯をいっぱい食べてそのまま寝た。

 

こんなかんじかな。