感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

落ち着いて感じたこと

 

 

今朝、以前に使っていたが故障して充電すら出来なかったスマホが奇跡的に起動した。

 

今までは記憶は儚いものであり、人間はアルバムを見てその都度大切な思い出を掘り返していたと思っている。

 

しかし過去に縋るのは良くない、僕らは今を生きている、未来に投機するために今を必死に生きなければ、僕らに明るい未来の可能性もなくなる。

人生回顧している時間は僕には残されていないし、おそらくまだ僕は生きる時間のほうが多い。このことを高校時代の写真を見て痛感した。

 

そしてその後僕に襲い掛かった不安がいつもながら恐ろしかった。

僕は今の時点で何も成し遂げてない、センターも何となく終わり大した結果も出せず終わったのにより高い大学を目指そうとする。

 

それこそよせばいいのに夢見てしまい未来なんだ。

 

現実と夢は違う。夢は必ず覚める、夢と現実は一つになることは絶対にない、それでも夢遊病のような足元もふらつかない患者でもなければ決して同一視出来ない。

 

僕は簡単に夢を語らない、いや、むしろこんなちっぽけな現実では夢すら見出すことすら難しい、そして目標は大抵自分を超えるものだ。

現在の己と、目標とする理想像が離れれば離れているほど人生の風当たりは強くなる、その乖離で、目標で、油断したら自分を殺されることもある。

 

それでも僕らは歩まなければならない、どれだけ恐怖が君を妥協へと唆そうと、不安が揺さぶりかけようとも、僕らは強く生きていかなければならない。

 

他人に馬鹿にされても親から呆れられても、それでも自己最高を目指さなければ道は途絶える。

 

だが僕はもう疲れてしまった。

 

学生の時分はまだ気力も体力もあり、絶望とも戦った。

しかし歩めば必ず踵はすり減る、どうもそのように思えて頑張ることが出来ない

 

どうやって生きていこうか、もう食欲も固形物を食べたくなく、清涼飲料水で凌いでいる。