感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

昨日今日の出来事

 

  • 昨日の出来事

 

昨日は朝早く起きて朝から勉強をしていてたしかやる気も尽きた頃に姉から電話が掛かってきた。

 

「忘れ物を届けてほしい」と

 

僕も高校時代に忘れ物をしてかなり焦ったし、母親に頼んだがすでに職場にいるなんてことがあってなんだか後ろめたかった日があった。

 

だからこそ届けなければ、と思った。

 

いや、もっと言うとパニック発作がまだ起きるか確かめなければならない(医者にはもう良くなると言われた)ので電車とバスを使って職場近くに行くことになったのだが姉の先輩がBBQをしないかと言い出したらしく、本当は電車とバスで発作が出るか、否かだけにして余計なことはせずにすぐ帰るはずだったのだがこれはまた発作が出るか試すにはいい機会と思い参加することにした。(後に姉は無理やり参加させられたと愚痴っていたが)

 

姉は車の中で先輩と待っていた。

 

そしてその車でその会場に向かった。

 

姉の先輩は英会話教室に参加していたらしく、主催者はその先生だそうだ。

なんだかアメリカンで定期的に開催しては参加者は不特定らしい。

さすがに最初はその外国人は焦っていたがすぐに打ち解けた。

 

そして姉の先輩の先輩も来て英会話の先生である大柄で恰幅の男と、その妻(日本人)と、その子供と、僕らを含め7人でBBQをすることになった。

 

その夫婦の子供は丁度5歳の男の子とまだ7か月の赤ちゃんがいた。

 

まず姉の先輩や外国人の妻に自己紹介をせねばならず、その時、最初は大学生と偽っていたがすぐに良心が痛み、浪人生と打ち明けた。

 

外国人にも数学科志望や浪人ということでイジられたりしたが僕はそこまで気にしなかった、よくあることだったし。

 

僕は5歳の子供とゲームをしていた、他の人たちは準備をしたり、大きな家の中を散策したりしていた。

 

 

そして準備が出来たので各々食べていたのだが如何せん僕はパニック障害を持っているので案の定発作が出て吐きそうだった、もっとも、コストコのパンでハンバーガーを作ったのでパサパサしていておいしいとは思えなかったのもあるのだが。

 

結局半分残してしまった。

 

一応予防線として食欲がないんですよね、とは周りの人間に言っておいたが。

そしてその外国人にも英語で食欲がないと伝えておいたのだが。

 

食事の会話はありきたりな話でいつ運命の人に出会うか、みたいな話を外国人の妻が話していたかな。

 

最初は風も強くなく、みんな楽しんでいたが徐々に風は強くなり僕がコートを羽織ると周りのみんなが過剰に心配してくれてなぜだか中で子供の相手をすることになった。

 

やはり子供だけあって反応は単純で負ければ悔しがるし、こっちが勝てば少しぐずっていた。

 

僕はなるたけ丁度いいくらいには負けるようにしていた。

 

そして時間は経ち、帰ることになった。

 

僕と姉で帰ることになり(姉は病院で勉強しなければならないらしくバス停の近くで降ろしてもらったが)僕はバス停で待っていたがパニック発作がこのときひどくて家に帰れないかと思った。

 

そして街に着いて電車で帰宅した、なぜだかこの時は発作は全然起きなかった。

 

姉は迷惑をかけたといい、LINEで謝罪してきて、ケーキまで買ってきてくれた。

 

僕は特段そんな迷惑を被った気はしなかったが。

 

 

 

  • 今日の出来事

 

今日は高校の離任式だった、高校生の頃は離任式に行かなかった、当時は高校が嫌で仕方なかったし、離任する教員に特別情もなかった気がする、だから行かなかった。

 

だが今年は世話になった教員が異動するらしく、元々以前友人から僕に高校に顔を出して欲しがっている教員がいるらしく(高校生の頃はむしろ嫌いな教員だったが)仕方なく向かった。(これもパニック発作が出るどうか、試すということもあったのだが)

 

まず校門で僕に会いたかったと言っていた元担任に会った、僕の現在の状況、友人の状況など述べたら笑って済ましてくれて自分の好きなことをすることが大切だと言っていた、これが僕にはありがたかった。

 

ちなみに驚いたのは元担任が2留していたということが発覚したということだ。

 

そして職員室に行くと現社を教えてくれていた早稲田の哲学科を出ていた教員に会った。

一浪の時分、僕はハイデッガーを知れば生きる意味もおのずと見出せるのではないかと勝手に思っていた。

 

まず存在と時間を読むにあたって、現象学を知らなければいけないらしい。

 

残念ながら僕は話を聞いていた時にパニック発作が出てまともに聞いていられなかったのだがハイデッガーフッサールに学んでいたらしく、存在と時間にも少し欠陥があると述べていた、人間の二重性と一重性を混同しているらしい、たしか横から見たときについてしか書かれてなかったと言っていたような。

 

そして僕はずっと聞きたかった本題について、聞いてみた。

 

「人生に意味はあるか」

 

ということについてだ。

 

残念ながら答えは否だった、自分で意味を見出すことが必要と言っていた。

 

次は会いたがっていた物理教師と話した。

 

僕の現状を笑いながら述べると悲しそうな顔をして聞いていた。

 

なんだか同情を強いているようで申し訳なかった。

 

とにかく健康が大切だから無理せずにと、言っていた。

 

現役の頃なんて僕に辛辣な言葉をかけていた教員だったのになんだか違和感を感じた。

異動するということもあってなのだろうか。

 

本当は色々な教員と話したかったがパニック発作が出たし、最後にダル絡みした教員から煙草臭いと言われ他の教員に話しに行こうにも行けなかった、その時、ポケットに煙草が入ってた。

 

 

怠惰な絶望

 

  • 日記

 

今日は朝早く起きた、といっても7時くらいか。

まず煙草を吸ってから勉強を始めた、しかし10時頃になると家でやるには好奇心が少し足りなくなってきた。

 

図書館に行こうとした、だがパニック発作でまず電車に乗れなかった。

諦めて苛立ちと吸い殻の中、喫煙所で佇んでいた。

 

帰宅して特に何をするでもなくただ無為に時間を過ごした、いや確か自慰行為でもしたような。

ふと我に戻ると「何をしてんだ俺は、こんな空虚でだらしない生活を送るよりもっと充実した一日を過ごしたい」と思い、煙草を吸ってからまた駅に向かった。

 

なんとか図書館についた。

途中で思ったのだが今は春休みで学生はみんな長期休暇に入っている。

部活終わりの高校生が高校の名前の入ったジャージを来て帰路についていた。

結局勉強したのは30分程度だったが(パニック発作がひどくなるのがすこし怖かった)

まぁ、その挑戦だけでも十分だろう。

 

そして家に帰ってご飯を食べて携帯をいじって寝た。

 

こんなところか。

 

 

  • 最近感じるのは怠惰な、ぼんやりとした絶望

 

それは明瞭な絶望とは違ってまだ優しい。

 

思うに世間体を捨てればこの世の中で生きるにはそれほど難しくないのではないか、ということ。

まぁ、僕には世間体をすてることなんて無理だと思うが

 

高校時代は予備校の自習室から出てコンビニで100円のパンとコーヒーを買ってなんとか凌いでたし、人生なんてどうにでもなる気がするのだ。

 

しかしこれは希望ではなく人生、社会に対する失望である。

 

僕の考えではもう二つの選択しかなかった。

 

生きるか、死ぬか

 

ただそれだけだった。

 

そんなような気がしたのである。

 

僕の現状は薬を飲んでスノボやサッカーをしたりすることが出来ているがまだ電車に乗るのはすこし厳しい。

高校の時なんか電車に乗って英単語を覚えていたのに、なんだかまるで他人事のように思える。

 

そして高校の離任式に行くなんて約束を友達から受けたのだ、本来なら現役の時に離任式に行くのが普通だと思うのだがなぜだか一年間経った後に行くことになったのだ。

 

友人曰く、三年の時の担任と物理を担当していた高校教員が僕を呼んでいるらしい。

 

担任には僕が鬱病だった時期に迷惑をかけて散々叱られたり、僕の過失をかばって謝っている場面を目の当たりにしたこともあり、感謝はしているがそこまで好きではなかった。その程度の恩義である。

 

また物理教師は教え方もひどく、発言も一浪目に文転してしまうほどには僕の心に打撃を加えたのであまり好きではない。

 

それでも呼ばれているのだから仕方ない、一期一会とも言うし、物理教師はもう異動するからさらに会うことはなくなるだろう。

 

直近の日記

 

一昨日の病院で医者に「受験物理に微積は必要か」と問うてみた。

 

所謂、新物理入門や理論物理の道標なんかがそれに該当するのだが回答は

「アレは自己満足で終わる、やってる君の友人はもうご愁傷様です。」

と言っていた、静大の友達も微積物理は不要と言っていたし、僕の個人的な意見でもやはり無駄になることが多いかと思う。

 

今日は朝5時に起きて勉強するつもりだったのだが、昨日の寝つきがかなり悪くてろくに寝れず、だらだら寝て10時に起きた、そしたら叔父家族が家に来るらしくてなんだかなぁ、と思った。(なんだかんだ言って叔父は苦手なのかもしれない)

 

そしてまず定食処で合流することになった。

まず僕と母親と長女が着いて、そしてしばらくして叔父たちが来た。

それで各々ご飯を頼んでご飯を食べていた。

しかし残念ながら僕はこの時パニック発作が出てしまい自由に食べれなかった、食欲なんかより吐き気のほうが強かったのである。

ご飯を残すことなんてほとんどなかったのにパニック障害になってからよく残すことがある。僅かばかり心が痛い。

惜しくもカキフライ定食を残してしまった。

 

そして叔父家族は僕の家の近くにある小さな水族館に行った。

その間僕は一服をして、図書館に勉強しに行ったのだが電車に乗った時点でもう吐き気がして結局とんぼ返りで帰宅したのであった。

 

そして帰ると叔父家族はいて赤ちゃんが眠っていた、叔父も寝るところだった。

 

しかし、僕は中学生の頃、叔父と会ってサッカーをしようという展開になったのだがその時は腹痛で出来ず、そのまま暇乞いをした、その時に言われた「俺の前にしてビビったな」という言葉がヤケに頭の中に残っていた。

 

そして僕はその言葉を思い出しサッカーに叔父を誘った、そしたら快諾してくれてサッカーをした。

 

以前叔父の家に行って山に行きトレイルランニングをしたときは無尽蔵の体力に僕はついていけなかった記憶があり、なんとか体力勝負ではなくサッカーのテクニックでならこちらが一枚上手だと思っていた。

 

まずパスから始まり、見たところそこまで上手くないように見えた、まるで初心者みたいだった。

結局最後の一対一では引き分けだったが、それでもこっちのほうがまだ上手かったかなと思った。

 

 

話しは変わるが赤ちゃんはかわいいし僕も欲しいと思うようになってしまった、アンチナタリストなのに

 

友人に説得された件

 

何故か昨日いきなり二浪している同期から電話が掛かってきた。

 

要旨は

  • 「君が大学に進学しないのはもったいないし、これまで屈辱を与えてきた人間はどうしようもない人間だから気にするな」
  • 微積物理をしてみないか」

と言ったところか。

一時間半くらい話していた気がする。

 

それで勉強のやる気が出たし、確かに真理ではある。

 

しかし申し訳ないが僕はもう情熱の灯が消えてしまったのだ。

 

病気と、数々の辛酸で。

 

まぁ、時間が経てば少しは変わるだろう。

 

話しは変わるがこれまで一日三回の頓服薬がなんでいきなり二回に変わっていたのだろう。

幸い僕は昼間に起きることが多かったのでその分余っていたが気付かずにいたら危なかった、いや、もう遅い。

こうしてブログを書いてはいるが吐き気がする。

 

本当は明日、母親が休みなので昼間に病院を変えてもらうつもりだったが予約が埋まっていたので夜にいかないといけない。

 

明日は何をして過ごそうか。

 

そういや医者に伝えないといけないことがかなりある。

いつのめばいいか

気持ち悪くなる前に飲みたい

頓服を増やせないか

 

 

スノボに行った回

 

スノボに行ったことについて記憶が薄れていかないうちに書き留めておこうと思う。

 

たしか三日前にいきなりLINEが来て行くことになった、幸いパニック障害も鳴りを潜めつつあったので僕は乗り気でいた。

 

そして前日の夜9時にハイエースで出発する予定だったが同乗する静大生がバイトで遅れることになり急遽2時間遅れで出発した。

 

以前長野に行ったときは高速道路でパニック発作の頻尿などで苦しんでいたが今回はそこまで悩まなかった、お互い色んな話しをしていたからかもしれない。

 

そして高速に乗っている途中に、もう少しで着くという時に右後輪のタイヤがバーストした。

不幸中の幸いにもスペアのタイヤがあったし、友人の父親が自動車整備士であったのでなんとか一時間で収まった、丁度終わりの時に岐阜のなまりがはいった交通警察が来て発煙筒や三角灯三角灯を焚いてくれた。

 

スペアを交換している間に僕は高速で停車しているということもあり、その時発煙筒や三角灯は車になかったので(確か以前煽り運転をして、された側の両親が高速道路で車から引きずり降ろされてそのまま後続車に轢かれて亡くなったという胸を痛める事件が心に残っていたので)後続車に轢かれないように停車位置から少し後ろでスマホのライトで後続車を隣の車道に寄せる仕事をしていた。たしか夜中の三時だった、トンネルの直前で森閑としている山々を月を見ながらなんだか不思議な気持ちになっていた、こんな田舎に住めたらいいなぁ、と。

思っていた気がする。

 

そして四時くらいにスキー場に着いた。

みんなは寝袋で寝ていたが僕は薬が無いと寝れないし、前日の昼間に睡眠薬を飲んで二時間しか寝れず調整もうまくいってなかったのでもう起きていることにした。

 

みんなが寝ている間、僕は一人で一面真っ白な雪が積もった野原を駆け回ったり、雪だるまを作ったり、雪化粧をした向こう側に広がる稜線を眺めてパニック発作は出ていたがそれでも十分楽しめた。

 

さて、スキー場は8時から開園なのだが僕の板はもう剥がれていて使い物にならなかったからレンタルした。(レンタルには身分証が必要らしくて保険証も運転免許も持っていない僕は友人から借りてなんとか事なきを得た)

 

しかしリフト代は19歳は無料らしかったのだがそれも顔写真付きの身分証明書が必要らしくて四千円払うことになってなんだか落ち込んだ。

 

そしていざ、スノボ!となったがパニック発作がひどい、吐き気がひどくて仕方なしにODをしてしまったがこんな楽しみを無駄にするわけにはいかないと思い、その場は何とか収まった。

 

そして滑ってみるとかなり勾配があってグラトリでもしてみようと思っていたがそれどころじゃなかった。

 

結局一日券を買ったが半日で疲れてしまって僕はただ喫煙所で友人たちが楽しそうに滑るのを見ていた。

 

なんだかその時はとても自己嫌悪や友人に対するフラストレーションやら溜まっていて今思うと我ながら我儘な奴だったなと思う。(まぁ、僕が自虐的に精神病や二浪をネタにしていたのも悪いが、それをいつまでもいじってきて嫌気が差すのはもっともかもしれないが。)

 

結局こんな感じで終わった、徹夜をしていたので帰りは車で少し寝ていた。

 

そしてなんとか家に着き、朝昼もまともなご飯を食べていなかったので(スキー場は自販も食堂も値段が高い)ご飯をいっぱい食べてそのまま寝た。

 

こんなかんじかな。

 

無題

 

昨日は一念発起してなけなしの情熱を燃やし、今日から頑張ることを誓ったが、朝起きたのは10時だった、そしてなんとか勉強をしたのだが、躓いた。

 

それでやる気も無くなった、もっと言うと今の状況で到底模試など受けれる状態ではないのでただの徒労に思えてしまうのだ。

 

今日はギターを弾いてソシャゲ(僕はこれにはあまりはまらない人間だ)でなんとか時間をつぶした。

 

そしたらこんな時間だ。

 

意気込んでエレキを買ったはいいもののなぜか印象的なイントロを弾いただけで満足してしまう、アコギとはなんか違う、パワーコードばかりでつまらないというか、アコギならそれ一本で主旋律を奏でることが出来るのだが、エレキとなると他の楽器も必要になる。

それが面白くないのだ、あとはコードも覚えにくい。

もうこんな時間だ、明日はどうやって過ごそうか。

 

精神科から命からがら帰還した今日

 

本当につらかった。

 

まずまとまった睡眠がとれてなかった。

 

いつもは睡眠薬で9時間くらいは寝るものなのだが5時間しか寝れず、夜中の1時に起きてそれから朝の5時まで起きていた。

そしてぶつ切りに予約していた正午から移動時間に1時間はかかるため見積もって11時には出ようと思った、10時に起きてもう寝られないと思ったから起きて支度をして早めに家を出た。

 

行きはパニック発作は出なかったが帰りはひどかった。

おそらく電車内の人からしたら心臓に手を当てて呼吸が荒くなっている青年を見て不思議に思っていただろう、僕はイヤホンをしていて吐き気を歯を食いしばってなんとか堪えてたからまったく周りの状況は把握できたものではなかった。

 

しっかり薬を飲んでもまだ寛解していない。

 

今回の受診ではとりあえず二浪して信州大もありだ、と言われた。

しかしもう僕の気力も体力もない、好奇心が枯れてしまったのだ、大学に興味がない、学問に興味がない。

 

このまま様子を見て、活力が戻ったら勉強に打ち込もうか。

妥協案の専門は全寮制なのでこの一年で病気を治さないといけない。

 

不安は止まらない、この先どうなるんだろうか。