感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

合格祝いすらも奪う毒親、打算的な友好関係について、そしてセネカの怒りについて

 

なんとか大学に受かったものの、僕の両親は貧乏なので母親はお金がある父方の祖母から35万と100万を借りることになっている(どうせ今回も返さないだろう、そして実際掛かるのは83万だ。)

私文だから掛かる費用は少ない、国立に比べれば高いが。

 

僕は親と決別したいがためにこの地を去ることにしたし、だからこそ今では受かった大学を志望した。

 

その祖母は僕が浪人して苦しんでいたことや、本来ならば僕が一番頭良かったのに毒親底辺高校に入れられて四苦八苦して、パニック障害を背負って浪人したことを知っている。

 

だから姉たちより少し多くあげると言ってくれた。

 

しかし母親が35万にプラスして100万も搾取したので祖母はもう僕にまとまったお金はあげれなそうだったし、僕も馬鹿な母親だから仕方ない、合格祝いなんてものは無かったことにしようと思っていたのだ。

 

ちなみに合格祝いなんてしてくれるのは祖母だけだ。

 

しかし、煙草を吸っている僕はもちろんお金がないわけだ、日々生きてるだけでストレスが溜まる。しかし煙草は減っていく、当たり前だ。しかしもう僕は堪えきれないのだ。

 

それに入学前にいくらかテストがある、その中でも手強いのがTOEICだ。

そのために勉強をしないといけない、だから参考書も少しは買わないといけない。

 

金を稼ごうと思うが、バイトをしようとしても近くのコンビニは2回働いて最後にはもらえる給料が低くてバックレるようなことをしたからもうここにはこないでくれと、店長から言われた。

 

おそらく前の記事にも記述してある気もするが、ここでもう一度その辛酸を思い出してしまったのだ、読み飛ばしてもらっても構わない。

 

もちろんそれ相応には働いた。

22時から朝の7時までだ。

もうほとんど出来ても研修中という文字が名札から離れない。

それをいいことに当てつけに喧嘩を売ってくる人間もいた。

 

コンビニで働くということは奴隷に等しい。

 

当てつけにくだらないクレームをして、説明している途中に帰ったりするような人間は数多くいた。

 

まだ記憶にある。

 

常連では他店のコーヒーのサイズを言ってそれに戸惑った僕に怒鳴り、タバコ種類も数ある中で特定できないような発言をしてまたそれに戸惑うとキレだす老害

 

111番と言って探してる時にキレる黒ずんだ顔をしたおっさん。

 

それを記憶してそのおっさんとジジイが来たら準備するようにもなった。

 

黒ずんだおっさんはそれを覚えた僕に好印象を得たのか

嗤いながら「俺が一箱って言ったらどうするだ。」と

その人間はいつも二つ買うのだ。

レジにいなくても監視していないといけない。

チルド食品とか、離れた場所でも手で何箱か、合図してきたり。

 

そんな人間がいるようなバイト先で狂ったように働いても18万程度だ。

 

今となればその金額は高いとは思うが、働いた分に対して釣り合わない。

 

 

だから申し訳ないと思いつつも合格祝いをくれないかと祖母に頼んだ、そしたら10万は手元にあると。

 

だから明日もらいに行くつもりだ。

 

本当に立つ瀬がない。

 

 

昨日は母親に

「なぁ、もうそろそろ俺を子ども扱いするのやめてくんねぇかな。」

と言い始め

「まずあなたの人間性について問いたい。」

と言い母親の悪事を俺は問いただした。

当然、責められるとキレる訳だ、そこでまず「キレるな、落ち着け」となだめ、母親の悪事について把握出来たのでもう終わりにしようかと思ったが

 

最後には「ごめんなさい、私が悪かったです。申し訳ありませんでした。」

 

なんて言ってきた。

 

だから俺は「お前ふざけてんのか」と言った。

「もういいわ」

と言って話は終わらせようと思ったが、

母親に

「このことは祖母に対して変な印象を持たないように」

そう釘を打って話を終わらせたが愚図愚図言ってくるから

「もうこの話は水に流そう」

と言って黙らせた。

 

だが前述の通り、祖母曰く今日は借りる金額が100万になってるのだ。

ふざけるのもいい加減にしろよと。

 

俺は両親が死んでもお通夜なんか行かない。

絶縁する覚悟はもう十分に、とうの昔に出来ている。

 

ただ祖母だけは一番大切にしないといけないと思ってる。

 

打算的な感情かもしれない、しかし実際打算的な関係は円滑になることが多い。

賄賂だって、チップだって、そうだろ。

 

後に祖母と通話したのだが

「母親との関係を悪くしてもいかんし、〇〇(僕の名前)の正義感が強いところはいいところだと思うけどいいよ心配しなくても。」

そんなことを言ってくれたが普通悪事を見て、見て見ぬふりをするような人間はいるか?

いや、むしろ見て見ぬふりをする人間の方が多いのかもしれない、みんな大人の仮面を被った子供でしかない。

 

「大人は本当の意味で大人になれない」そうミシェル・ウェルベックもそういっている。

 

防衛医科大学のペーパーを通ってセンターは失敗したが国立大に入って教員になって、家族がいる優秀でまともな叔父と思ってたのだが祖母から過去のことを聞いて

「あぁ、人間はなんて卑賎な生き物だろう」と。

 

俺は母親のせいで底辺高校に入れられたし、パニック障害にもさせられた、不正を続けている母親に問い詰めたのは俺が尾崎豊が好きだからかもしれない。

 

彼は初披露の新宿ルイード

 

「自由じゃなきゃ意味がねぇんだよ」

 

「大人ってそうやって臭い物に蓋をして物事を分かったふりをしているけど本当はそうじゃないんだ、もっと大切なものがあると思う。」

 

そんなような発言をしていた。

 

たしかに、俺は英語教員に無意味な授業について論駁したりしていたが結局は俺だけが浮いて周りはみんな日和見主義だった。

どこか僕だけ浮いていてみんなシラケたような目線だった。

 

なぜなら俺より英語を出来る人間は学年でいなかったからだ。

 

だから英語の授業で映画を見て感想を書きましょうなんて授業では妨害しまくったし、それである女子からは「うるせーな。」とか陰口叩かれていたと僕の友人は言っていた。

 

俺は

「うるさくてもどうでもいいだろこんな授業、コミュニケーション英語という授業で映画を見るのか?それは正しいことか?何がコミュニケーション英語だよクソくらえ」

と俺は思っていた。

 

だからそんな教師になんてなりたくないと、一層強く思った。

 

 

 

 

最近セネカ(哲学者兼文学者)の「怒りについて」を読んでいたが

「賢者は不正を受けることがないなぜなら不正は彼に届かないからである。」

と言っていてほんとに馬鹿馬鹿しいと思った。

 

なぜならその不正とは自分を含め、不正を不正と思わないことであり、得を積むことで賢者になれるなんて書いてあったからである。

 

形而上に持っていくならまだしも何が賢者だよ。

 

ストア学派はこういった展開で論駁するのである。

 

たしかアタラクシア派を軽蔑していた内容だった気もする。