大学受験の終わり、思いがけない空虚感、いつもの不安や希死念慮
昼間にブログを更新したのだろうか、記憶にないが、とにかく僕は長野の大学の教育学部に受かった、いや、むしろそれしか受からなかった。
教育学部は第二志望だった、本来なら経営学部が第一志望だった。
というのも公民の教員免許を取りたいと思ったからだ。
しかし心境は一転して教育学部に行きたいな、と思っていたので結局良かったのかも知れない。
僕が現役で受かった私大の前期に三回も落ちてから、祖母は毎日三回、亡くなった祖父
(幼い頃僕を可愛がってくれた)が神になったからなのか、または深志神社の菅原道真や四柱神社の神かまたは数多の神が、俺を赦したのか、分からないが受かった。
しかし実際、なんだか受かっても不安はいつでも付きまとってくるものだ。
長野に行ってまともな心療内科が見つかるか、教員採用試験に受かるか(一発で受かるのはかなり難しい)受かっても教員になっていた時点でもまだ心療内科に通っているか、左手の苛立ちから来た根性焼きは治るのか、それとも現状のままか。
取り敢えず、僕は英語の教員にしかなれない事は分かった、だから英語を早く学ばなければと。
最近筋トレをしているがいつもベンチプレスやディップスだけなので勉強椅子を妨害しているマルチマシンは捨てた。
捨てるにも時間が掛かる、なぜなら解体しないといけないからだ。
その途中で一回友人とスノボに行ったときに知り合った国立大学の人と一年ぶりに会った。
まぁ、それなりに色々話した。
帰ってなんだか空しくなったが、それでも掃除は終わってない。
まず要らないものを捨てなければ、と。
机の一番上の引き出しは思い出が詰まっていたり、重要なものが入っている。
その中で名前のないDVDを見つけた、かなり傷付いていた、ホコリも付いていたので掃ってパソコンで再生したら中学三年の時分に未来の自分に宛てた内容だった。
皆が皆
「夢はないですが」
という常套句から始まっていてなんて類型的な人たちなんだろうと思いつつ見たら
やっぱり自分の場面が来るわけで、相変わらず
「夢はないですが、毎日一生懸命生きていたらいいです。」
なんて言いやがって。
たしかまだこの時は信州大の医学部に行きたいなんて思っていなかっただろう。
ただ今言えることは残念な人間になっていることは確かだ。
無理やり底辺高校に入れられたが偏差値至上主義になり、ガリ勉をしたが高校のカリキュラムのせいで現役は失敗、浪人を強いられパニック障害にさせられ、一浪目なんてパッとしない点数でそこら辺の現役生でも取れるような点数だったし、二浪して現役で受かった私大に三回落ちて、何とか行きたかった県の大学には入ったが信州大学ではないし、相変わらず学歴コンプレックスやパニック障害は抱えてるし、現実は充実していない、暗夜行路の中を夜露に濡れて生きている、この生存競争の中でどう生きるか、そこらの奴らみたいに健常者でもなく、充実もしてないし、ましてや彼女なんていない。
ただの後悔の塊としか言いようがない。
その人間が教員になんてなれるのか。
受かって一時の嬉しさや安堵はあったがそんなものは束の間に消え去って、また壁が出てくる。
一体僕はいくつの壁を越えれば幸せになれるだろう、障害を無くせるのだろう、厭世主義でいられなくなるのだろう。