感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

無題

 

まず目覚めるとまた憂鬱な日々が始まって何でもないような日を自己嫌悪と無為に過ごし、うんざりするのか、というけだるい怠惰な感情だった、そしてなんとか部屋を抜け出してその後コーヒーを飲みながら喫煙所で思ったことは「僕は自分と向き合おうとしていないんじゃないか」ということ。

 

センターが中途半端に爆死して国立はおろか私立のセンター利用すら出せなかったという現状は受け止めないといけないし、親とは一度二浪の話もしている。だから今すべきことはただ勉強する、ということなのではないか。

 

自分はただ今の現状が受け止められなくてこんな自棄になっているのではないか、それはただ僕の弱さだ、自分の弱さには立ち向かわなければならない。

 

高校の時には明るい未来を信じてがむしゃらに勉強していたが残念ながら報われなかったし、目標とは遠く離れていた。

 

しかし今は触れることが出来るような位置に来ている、だからこんな心身ボロボロになって薬漬けになって喫煙者になっても目標は捨ててはならないのではないか。

 

現役合格して地位や名誉が欲しかったのもあるがあくまでも大学は勉強する場所だ、二浪するのは大きなディスアドヴァンテージとなるだろうが自分のしたいことが大学で出来ればいいし今回の浪人で学んだことは大いに価値があることだと思うし収穫も多かったと思う。

 

文転して文学に触れることにより(多くは三島由紀夫氏だが)日常では得られることのない感性が育まれたし、結局日本史は半分しかやらずに終わったが現在の日本文化や政治体系の遷移もだいたい分かったし何より現代文の勉強は底辺高校ではまったくされなかったが独学で参考書を使ったら判断力や解答の根拠を持つ力が育まれたし実際偏差値も71を取れた。

そして僕は薬が無いと寝られないということ、もし現役で妥協してそのまま底辺大学に行ってたら無理に訪れる不眠からくるやむを得ない昼夜逆転からどのみち今のようにパニック障害になっていたのではないか、また何より大手予備校の出す実戦模試より過去問のほうが同一であるが故にセンター対策には最適であるということ(今思えば当たり前だが)を知った。

これは精神科医も大きな収穫であると言っていた(とはいえ次のセンター試験は最後なので難化する傾向があるらしいが)

 

畢竟、自分に素直になり、過去を後ろめたさなしに胸を張って語ることが出来ればそれでいいのではないか、そう思う、だから指定校推薦なんて手を使わなかった自分を褒めたいし、向き合った自分を少しでも褒めたい。

 

さて、これからはどうしようか、哲学は諦めて数学に進もうか、大学選びはその方が幅が広くなるし、潰しが効くし、こんなことを言ったら身も蓋もないが何より哲学をしても答えが出ない気がする、生きる意味なんて元々ないのだ、それは自明だ。(しかしハイデッガー存在と時間を少し読めば分かるが実は哲学はそうした自明視された事柄を捉え直すことから始まることが多いのでこの考えは愚直かもしれない)

それに大学生になったらハイデッガー入門でも読んで自分なりに答えが見つかればいいんだ

 

まだ私立の入試は受けていないが予備校にE判定なんて見せつけたらやる気も無くなったし、何より受ける試験がこの一年間文系三科目だけしか勉強してなかったので数学を取らざるを得なくなったことが不服だがそれでも二浪を見据えて真摯に自分に向き合わなければいけない

 

腐る気持ちは分かるが尾崎豊やamazarashiを聴いて頑張ろうかな、これらのアーティストはこの汚い世界の真理を歌詞に実直に投射している。

 

この時期は嫌な時期だ。疲れてしまって何もかも投げ出したくなる、それでも世界は回るのだから何とか動き出さなければならない。

 

そういえば僕のようなどこの馬の骨とも知れないような奴のブログを読んでくれる人がいて驚いたしうれしかった、その人の過去はかなり大変そうだったが強く生きてほしい

(こんな簡単な言葉で無責任に口出ししたり表現するのは失敬かもしれない、もし気に障ったのなら申し訳ないです)

僕の祖父も自殺しているしこれも何かの縁なのかもしれない

 

こんなクソったれな遺伝を受け継いだりしなければいけなかったり腐敗しきった世界だけれどそれでも何とか生きていかなければならない。

ニーチェのような生への意思なんて力強いものはないがそれでも超人ではないながらも凡人として希死念慮や自己存在意義の模索に立ち向かわなければ。

 

合否がどうであるにせよ、早く大学から通知が来て一安心したい。