感情の忘備録

浪人時に精神病に罹患、二浪を経て、底辺大教育学部で病状悪化、読書感想文や感情を吐露したりしてます。

希望を見出しては絶望に打ちひしがれる日々

 

なんだか調子が良かった日があった、気は進まないが安心して電車も乗れたし、図書館にも行った、そして図書館で5h勉強できた。

 

もう完全にパニック障害とは無縁だと思っていた。

 

しかし次の日は吐き気で電車どころじゃなかった。

 

今日も試してみた、電車に乗れることは出来たものの気持ちが悪くて図書館で勉強どころじゃない、もちろん電車代も台無しだし、早く起きて進捗を生んだのも何にもつながらなかった。

 

もう来月にはセンター模試が始まる、僕も障碍者ながら勉強しているが範囲が間に合わない。

 

どうすればいいんだろうか。

 

僕にはコーヒーを飲んではいけないという制約がある、カフェインで気持ち悪くなるからだ。

高校生の頃はエスタロンモカを飲んでそれでバンバン勉強をしていたしもう完全に中毒だ、そして最近煙草の減りが早い、焦燥感からくるストレスか。

 

パニック障害にはアルコール、カフェイン、睡眠不足、ニコチンが天敵だ、僕はそのうち3つを満たしている。

 

もう諦めるしかないのか。

 

最近気持ち悪くてまともに飯も食えない、だいたい昼はウィダーだし、今日の朝はカロリーメイトだった。

 

そして英文を読んでたら誤読をしていて視力も落ちている、精神科の上に眼科までいかないといけないのか、面倒だ。 

 

もう消えてしまいたい、そう思い、何もかもうまくいかないときはギターを弾くのだ。

未来に怯え、震えて迎える夜

 

今日は高校が同期の友人と会った、仮にアルファベットで示そう、少し複雑になるので

Aは一浪して大学生、Bは二浪の友人で男二人。

 

事の発端は突然二日前に「会わないか?」とAに言われ僕も特に用事がないので会った。

 

前まで週一でC(高校からの友人でBと付き合ってる、こんな情報はいらないかな、どうだろうか)が会ってくれて毎回色んなことを話していた。

 

だからそんなノリで軽く話すかと思っていた。

 

会ってまずは開口一番、近況を報告し合い、お腹が空いたと言われたのでパニック発作は出つつも我慢してしばらく歩いてファミレスに向かった。

 

そうすると浪人の友人Bが新物理入門

(これは進学校のトップの人間がやるような参考書で、基本は公式の導入や照明を微積分を使ったり、大学で習う公式を使って証明する内容となっており、高校範囲を逸脱しているとよく言われる、普通の人間は手にしない高校物理の参考書では最高峰に位置する参考書)

の知識をひけらかしてきたので、僕は少し興味があるもののそこまで聞いてないのにコピー用紙を出して数式でいろいろ説明してきたので仕方なしに煙草を吸いながら付き合っていた、実際早く帰りたかった、僕はパニック発作で十分に勉強できてないのであまりに高度な数式を使われると焦る、精神衛生上よくない。

 

Bは別に特段頭が良いという訳ではなく、現役のセンター試験でもパッとしない点数だった気がする。

それなのにいきなりそんな参考書を手にして、極端に演繹的で極論を展開する詭弁論者で僕はその割、懐疑的でない彼の主張の強さが目立つ話に辟易していた。

そしてついには京大の問題を出してきて一度解いたことがあるのに僕の前で解きだして

「こんなん教科書をしっかり覚えてればだれでも解ける」なんて言っていたかな。

 

半ば僕は呆れていた、一度解いたことある問題を解き直して悦に浸っているのだ、なんだか阿呆くさかった、そんなんほとんどの人間が出来るだろう。

 

帰り道、彼曰く「教科書を完璧にすればどんなほとんどの問題は解ける」ような話をしていた。

 

僕は彼の主張が詭弁、傲慢故に我慢出来ず反駁したが、彼は意思が固く、彼の友達の国立大生の忠告も聞かなかったし、僕も医者から聞いたその参考書の危険性を彼に伝えたが気に留めていなかった。

 

人生好きなように生きる、そんな人だった。センターが廃止されても改革後に乗りこむつもりだったらしい(実際は高校内で学力の参照にするテストが行われるので浪人生は確実に弾かれる)し、なんなら院試を受けるなんて言っていた、変わった人間だなぁと思った。

 

さっさと僕は撤退したかったので帰らないかと言い出した。

 

なんとか帰れたが僕の心は闇に包まれていた、二浪して一浪時にセンターも模試も受けてない人間とFランの大学生と集まって学問の話を偉そうに語っているなんてなんだか机上の空論で、砂上の楼閣で、何よりバカみたいでその場にいるのが苦痛だった。

 

とにかく僕は帰りたかったし、なによりその知識をひけらかされたぼくは漠然と焦りを感じた。

 

そして僕は精神病患者ということを思い出し、何も出来ないのか、と家に帰ってとにかくやたらと焦っていた。

 

なんだかとっても疲れた。

 

僕には希望がない、パニック障害との闘いも難航している。

 

本当に模試なんて受けれる日が来るのか、甚だ不思議であり不安である、故に勉強のやる気も起きない、こういった悪循環に陥っている。

 

明るい未来は僕にはあるのだろうか。

 

戯言

 

なんだか毎日が無味乾燥としてる、昨日はあんな大風呂敷を広げたが結局昨日は電車で図書館に行けたもののなんだか飽きて帰ってきてしまった。その後も勉強はしたがなんだかコーヒーを飲んだせいか気持ち悪くなってやめてしまった。

そしてギターを掻き鳴らしていた。

 

今日は昼間に起きてギターを弾いていた、カフェインを摂取しなければとても勉強なんてできたものじゃない、しかし今日は心療内科なので伝えたいことが気持ち悪くて伝えれないなんてことがあったら困るので摂らなかった、今回の受診でもう少しよくなるだろうか。

 

症状が悪くなると嫌なことを考えてしまう、「もしかして医者は患者を食い物にして適当な薬を出して毎回なぁなぁにすましているのではないか。」と。

 

そうでないことを祈りたい、ヤブ医者なんてもう懲り懲りだ。

 

取り敢えず病院の時間まで何をして過ごそうか。

 

社会性不安障害を背負った受験生が志さなければならない理想像

 

なんだか今までを振り返ってみると医者に薬を出され、申し訳程度の慰めを受け、治るか治らないかも曖昧なまま、勉強してはパニック発作が出て苦しんで腐って投げ出して「治ることなんかねぇじゃんかよ」と思い、ギターに没頭するなんてことが多いと思う、しかし本当にそれでいいのか、ギターなんてやっていても後ろめたさがこの気持ちを思い起こさせる。

 

治るか治らないかは大体わかっている、ネットを見れば個人差があるらしいし、薬が本人に合うことも大切らしい、しかし一年なんてそう長くはない。薬が合うか合わないかなんてやっているうちにもうあっという間に試験だ。

Twitterパニック障害なんて検索すれば何十年もパニック障害と闘っていて、仕事も

ままならないなんて人が見受けられる。

 

僕もそんな人間になってしまうのか、それが一番怖い。

実際バイトをしてみたかったがパニック障害は発作が出たら誇張無しで動悸や吐き気、強烈な不安、息苦しさとどこからくるかわからない死ぬ思いを感じてまるで自分ひとりが虚空に殺されるような症状が出て醜態を晒すわけにもいかない。

 

さらに嫌なのがここで希望を見出して勉強したわいいものの、模試も受けられず、センター試験も受けられず、結局はただディレッタントになってしまうことだ。

これまでの艱難辛苦を乗り越えたことすら誰にも評価されずに。

 

結局は徒労、そんなことになるのが怖い。

現役の時に一番思い知らされた、原因を解決しなければ救われないということを。

 

しかしそれでも、雨曝しの中でも俺は走っていかなければならない、どんだけ打ちのめされようと諦めることだけはしてはいけない。

無理やりでも希望をもって生きなければならない。

それがこの腐った世の中に対する報復だろう、何も報われなかった俺が唯一出来る手段

それが希望をもって勉強をし続けるという方法であり、理想像であるのかもしれない。

希望の日は諦観の日々に埋没していく

 

花粉症はつらい、パニック障害もつらい、生きるのもつらい、何もかもつらい。

 

ところで前回ブログを更新したのは5日だったか、気が付いたらあっという間に日々は過ぎ去っていた。

 

おそらくブログやSNSに没頭していないということはだいたい日々が充実しているか、一日一日生きるのに必死ということだろう。

 

今までを振り返ってみよう。

たしか前回の更新は医者に半ば匙を投げられてからだ。

薬も大して変わってない、ただ現状維持だ。

というか前回はだいたい話をそらされて終わった気がする。

 

スマホのアルバムを見て振り返ろうか。

 

6日の夜に桜を見に行った、そういう有料の花々を栽培している公園があるのだ。

といっても僕は去年の夏から通っていた図書館の入り口に囲むようにして咲き誇っている桜を見ながら桜吹雪に吹かれ、amazarashiのさくらを聞いて桜に囲まれた図書館の入り口を僕が入るはずだった任意の大学に思いを馳せて感傷に浸っていたほうがよっぽど良かったが。

それでもライトアップされた盆栽や池に反射して水面に写る桜を見て綺麗だなと思った、人工的で好きではなかったが。

 

というか、それよりも入園する前に吐き気が尋常じゃなくてつらかった。

早くパニック障害治してほしい、今後はどうなるんだ。

 

7日、特になし。

 

8日、記憶がなし。

 

9日、まぁ、今日なんですが今日は、、、いや、昨日はかなり早く寝た。

僕はイソミタールという一番強力な睡眠薬を飲んでるおかげで睡眠時間を操れるのだ。

去年の半分以上不眠でこの社会性不安障害になったわけなのだが、、、。

 

昨日は夜の8時に寝た、そして夜中の2時に起きて勉強をした。

無理やり希望を抱いて勉強に専念しようとした。

午前10時くらいまでは順調だった、当然やる気はなくなるが図書館に行けばいい。

しかしここでパニック障害発動、まんまと計画は崩れたのだ。

 

完全な人間というには不完全すぎる僕だがあいにく完全主義なのでもうやる気がなくなった。

 

手にしていたものはペンではなくなんと、ギターであった。

気が付いたらこんな時間もう個人的には一日が終わる。

ただ今日のギターは楽しかった、アコギはいつもそれなりだが友人からクリープハイプのナンタラカンタラコイセヨオトメという曲を弾いてみたいなこと言われたのでアコギでやってみたらかなり楽しかった、簡単だったけど楽しかった。

 

アコギは弦が固いので指の皮がすぐに開く、だから柔らかいエレキでやったらいままでパワーコード(たしか一つや二つの弦だけ弾く)ばかりで地味でつまらないと思っていったがかなり楽しかった、それはもうXJAPANバリのギターさばきでヘドバンに近い動きでかなり楽しんでいた(さすがにそれは嘘だがストラップもあったので弾き語りみたいな形は出来た)

 

最近思うことはなんだろう、進路の不安か。

 

このままパニック障害が治らなかったら大学にも行けないし、専門にもいけない、就職も出来ない。

女みたいにメンヘラだから養ってなんて言う訳にもいかない、もう袋小路なのだ。

女医でも探して主夫になるしかないか。

 

なんだかこんな何年も治るようなことがないような病気に罹患して、自分のやりたいことも出来ず、燻って生きていかなければならないなんて、あたかも自分のことを他人事のように扱わないと、生きていかないと気が狂いそうだ

 

だから本当は今日みたいにエナジードリンクなんて飲んで無理してはいけなかったのだ

 

(しかし深夜に起きて勉強して、ある時刻になったら暁の山々を照らす朝日やその稜線をみたり、富士山を見てセンチな音楽を聴いてタバコを吸うのがとても有意義な時間であり、人生の糧となる気がするのだ。)

 

今回はこんなところか。

半ば医者に匙を投げられた件

 

今回、特段何か期待しているわけでもなかった、だから別に何を言われようとも気にかかるようなことではなかったはずだった。

 

待合室は満員で座る場所もなかった、席が1つ空くと受け付けのお姉さんが目くばせで座るように指示してくれた。

 

僕は電車でもいつも立っていた、そういうやりとりが面倒だし、何より単語帳を取り出しやすかったから。

 

何故か今回は人が減るにつれて吐き気が増してきた、自分でもわからない、前に屈辱的な発言を受けたのが大きかったのか、残念ながら自意識レベルでは分からない。

 

やっと呼ばれたら開口一番調子はどうかと聞かれた、もうその時点で吐き気は強くなっていった。

 

そもそも前回は安静にしてろと言われたのだ、どうもこうもない。

 

しかし体調は芳しくなかったのでそのことは伝えた。

 

すると僕の口調が湿っぽいのか、もっと明るい話をしようと言われた。

病状を伝えるのに暗いも明るいもあるもんか。

 

医者のペースに巻き込まれなんだか調子が狂った。

 

今回は友人の家にいても苦しくなると言って話していたら僕の友達が漁師という話から二年前に知り合ったTOEIC880点の外交職から漁師になった人の話をしていつも通り逸脱して病気と関係ない話に辿り着いて、結局参考書の話になった。

 

坂田アキラという黄色本の数学では有名な本があってそれを勧められたのだが残念ながら僕は高校時代に医学生にその本をもらって、底辺高校にいながら先取りしてすでに学習済みだった。

やたら数2Bの勉強を勧められたが数列も好きだし、漸化式も好きだし、ベクトル以外特に苦手な分野はなかった。

 

いや、言い訳が許されるならその当時ベクトルで恥ずかしながら赤点を取ったのだがそれは模試を考えて勉強していたからであり、一次独立なんて言葉を答案に出せるようになっていたし本当は苦手じゃないと思うんだ。

 

しかも僕はもう高2の半ばで偏差値59を出しているのだから二次関数なんて場合分けの必要な難しいグラフとか、計算ミスじゃないと躓くことはない。

 

それで伝えたかった模試がもう一か月後に迫っているということは結局伝えられなかった。

 

最後は気の持ちようだなんて言い出して困惑した。

 

なぜなら僕は昼夜逆転して徹夜してこの病状に至ったわけで、僕は教員にケンカを売ったり、学校のベランダでタバコを吸ったり、学校を休んでゲーセンや予備校の自習室に行ったりしていたのだから気が弱いなんてことは絶対ない。

 

僕が鬱病になった時も受験において底辺高校に縛られてもがいていたからであって人間関係とかでは決してないのだから。

 

もう立つ瀬がない。

 

ここからは自分が決めなければならない、闘病しつつ勉強をするか、流されるか。

 

闘病するなら模試の途中に苦しくなることなんてよくあるだろう。

 

それでも腐らずに闘うことが出来るか。

 

そこが問題だ。

 

いずれにせよ、治らなければ何もかも終わる。

 

その時に向けて死ぬ覚悟を決めておかなければならない。

 

日本男児たるもの自害するときには潔く自害せねば。

 

どうでもいいこと

僕は高校の時に年を召した女教員が好きだった。

それは別に性的な項目としてみているのではなく、なぜか一緒にいると安心するというか。

母性的な何か、とでも表現すればいいのか。

 

今日も時間をつぶすために結婚できない男を見ていたのだが夏川結衣高島礼子を見てるとそういう気持ちになる。

 

名状し難い

 

僕は何かが欠けているのだろうか、ただ童心に戻りたいだけなのだろうか。

まぁ考えてみたら確かに小学生までマザコンみたいなところはあったのかな